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「甲子園に届かなかった」明徳義塾の“苦難の時代”を経て…10年以上ぶりに見た名将・馬淵史郎の息子、馬淵烈の“驚きの姿”に感じた父の血
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中村計Kei Nakamura
photograph byTadashi Shirasawa/Kei Nakamura
posted2026/09/23 17:02
明徳義塾高校・馬淵史郎監督(左)と、息子で拓殖大学野球部監督の馬淵烈(右)。選手たちに指示を出す姿がよく似ている
合理や計算を吹き飛ばすような勝利への執念に史郎の影がちらついた。
結果的に拓殖大はその試合に敗れ、優勝が一気に遠のいた。
そのときの烈の失意は想像に難くない。
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「あのときだけじゃなくて、毎シーズンね、ここで負けたら2部優勝がなくなるなっていう試合があるんですよ。ここで負けたら、っていうね。そこでやられると、ほんとね、絶望なんです。でも、次の日になったら『よし、やるぞ』ってなってる。次、どうやったら勝てるか、って」
甲子園で負けたら真っ直ぐに高知へ帰る
史郎の口癖がある。
「終着駅は始発駅」
甲子園で負けると、たとえ第4試合終了後であっても史郎は高知に真っ直ぐ帰る。翌日、練習するためだ。
「甲子園におったら、なんで負けたんやろって、ああでもない、こうでもないって考えるやろ。新チームを一生懸命みてたら、すぐに忘れるもん」
史郎の野球に対する姿勢はシンプルだ。その混じりけのなさは、ピュアだと言い換えてもいい。
「親心」か「勝利」か――
2020年、コロナ禍が全世界を覆った年の夏は甲子園が消滅し、高校球界全体に、これまでにない感情が生まれた。3年生たちに、いい思い出をつくってやりたいという親心だ。各都道府県で開催された独自大会では3年生を優先的に起用するチームが急増した。
また、その年の選抜大会に出場するはずだった32校に対する救済措置として、夏に甲子園で特別開催された交流試合でも3年生だけで戦うチームが目立った。
だが、そうした配慮が前面に出た試合からは真剣勝負特有のひりつくような緊張感が消え、どこか物足りなさが残った。
「親心」か「勝利」か――。この夏、多くの監督たちはその間で揺れていた。
ところが、史郎の足元だけは微塵も揺らいでいなかった。


