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「おまえは監督の息子だからや」明徳義塾・馬淵史郎監督の息子・馬淵烈が明かした苦悩の中学時代…“SSK”と揶揄され悔し涙も、父は「ふふふふふ」
posted2026/09/23 17:01
現在、拓殖大野球部の監督を務める馬淵烈氏。少年時代は、父で明徳義塾野球部監督の史郎氏に「怒られた記憶がない」ほど優等生だったという
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中村計Kei Nakamura
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Kei Nakamura
春夏通じて40回、チームを甲子園に導いた明徳義塾の名将・馬淵史郎監督。その息子で、拓殖大学野球部の監督を務める馬淵烈(つよし)も、幼い頃から当然のように野球に親しみ、明徳義塾中学で白球を追った。中学卒業後は、父が率いる明徳義塾高校野球部へ進むが――。(全3回の第1回/第2回、第3回も公開中)
◆◆◆
歳を重ねてくると息子は父親に似てくるものだという。馬淵親子を見ていると、例外はないと言い切ってもいいのではないかとすら思ってしまう。
明徳義塾の監督である父・史郎は、息子の烈の話になると照れくさそうに言った。
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「コピーや、って言われることがある」
史郎は1987年から明徳のコーチになり、1990年、34歳で監督に就いてからというもの春夏通じて40回、チームを甲子園に導き、2002年夏には全国制覇を達成している。甲子園における通算勝利数55勝は歴代4位の記録だ。
裏表のない性格で、歯に衣を着せない“馬淵節”は甲子園のミックスゾーンにおける名物ともなっている。
「悪さとか、できないじゃないですか」
史郎はコーチ就任1年目の88年に同僚の教師と結婚し、翌年に長男を、そのまた翌年に長女を授かっている。
現在、拓殖大の監督を務める烈と私が初めて言葉を交わしたのは2007年6月、明徳義塾高校3年のときだった。これから最後の夏を迎えようというタイミングでのことである。
烈はキャプテンを務めていた。印象はひと言で過不足なく言い表せる。
優等生——。
烈は父親に怒られた記憶がないと話す。

