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ツバメのさえずり日誌BACK NUMBER
「あの夜、人生が変わった」26歳で阪神を戦力外→そこから15年も現役を続けた左腕の〈大逆転人生〉 正田樹が語る「2度の戦力外と3度の解雇…その先に」
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byTomosuke Imai
posted2026/08/12 11:05
現在は東京ヤクルトスワローズの投手コーチを担う
台湾、アメリカ、独立リーグ「戦力外にも“免疫”が」
翌2010年も興農の左のエースとして32試合に登板し、5年ぶりのリーグ優勝にも貢献する。2011年シーズンはチームの経営難から契約を結べなかったが、それを機にMLBのトライアウトに参加。ボストン・レッドソックスとマイナー契約を結び招待選手としてキャンプにも参加した。
最終的には3月の開幕前に解雇通告を受け、次なる新天地は北信越ベースボール・チャレンジ・リーグ(当時)の新潟アルビレックスBC。まさに“ジャーニーマン”として野球ができる場所を求める中で、左腕はどんどんタフになっていった。
「その頃には戦力外とか、解雇というものにも免疫がついたというか、仕方ないなとすぐに受け入れることができるようになっていました。じゃあ次はどうしよう、と切り替えて新しい場所にも飛び込んでいけた。結局、自分の中ではどの舞台でもあまり変わらないんです。プロ野球でも台湾でもアメリカでも独立リーグでも、野球に関して勝つ喜び、負ける悔しさは同じ。そういう意味では純粋に野球に向き合っていたのだと思います」
「台湾の夜」から14年以上投げ続けた左腕
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そんな正田の前に、再びプロ野球の扉が開いた。2011年秋、ヤクルトが獲得に乗り出し4年ぶりにNPBに復帰。2012年はリリーフとして24試合に登板し、翌2013年5月には救援として登板したロッテ戦で自身8年ぶりとなる勝利を挙げた。
「台湾の時に作り上げた自分の投球スタイルもあったので、パフォーマンス自体も納得できるものを出せた部分がありました。最初の9年間、日本にいた時の自分とは違いますよ、というところで勝負できたのは良かったです」
2013年秋に戦力外通告。それでも正田のキャリアは終わらなかった。台湾リーグのLamigoモンキーズを経て、四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツへ。その後10年近く、42歳になった2023年秋までマウンドに立ち続けた。一度は野球人生の終わりを覚悟した台湾の夜から実に14年以上。日本ハム、阪神で過ごした最初のキャリアより長い時間を、現役として過ごしたのだった。
「本当に充実していた」波乱万丈の野球人生
「特に最初にNPBをクビになってから台湾以降の野球人生は本当に充実していましたし、内容の濃いものでした。普通ならばあの時点で野球をやめていてもおかしくないかも知れないけれど、自分は野球人生の後半に見えてきたものが沢山あって大きく世界が開けました。いっぱい失敗をして、失敗ばかりだったけれど、全部が今に繋がっていると思います」


