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「現ナマ1億円」前代未聞の招待状…Uインター崩壊を生んだ“1億円トーナメント”はなぜ開催されたのか? 過激な人気団体のウラに“自転車操業”の現実

posted2026/06/17 11:00

 
「現ナマ1億円」前代未聞の招待状…Uインター崩壊を生んだ“1億円トーナメント”はなぜ開催されたのか? 過激な人気団体のウラに“自転車操業”の現実<Number Web> photograph by 東京スポーツ新聞社

1億円を並べ、各団体のエース5選手に出場を呼びかけるUインターの鈴木健取締役

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堀江ガンツ

堀江ガンツGantz Horie

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史上最も過激なプロレス団体とも言われるUWFインターナショナル(Uインター)。その崩壊の引き金となったのが、現ナマ1億円を用意し、各団体のエース5選手に一方的に参加を呼び掛けた「1億円トーナメント」だ。前代未聞の試みはなぜ生まれ、なぜ失敗したのか?《NumberWebドキュメント全3回の初回/第2回第3回に続く》

◆◆◆

 1990年代、常に過激な話題を提供し続け、一時は毎月のように日本武道館を超満員にするほどの人気を誇っていたUWFインターナショナル。

 その活動期間は、91年5月に旗揚げし96年12月に解散しているため、わずか5年7カ月と意外にも短い。なぜ、Uインターは短命に終わってしまったのか。あらためてその歴史を振り返ると、人気団体だったUインターが崩壊へと向かっていった最大の分岐点が見えてくる。1994年に開催された『’94プロレスリング・ワールド・トーナメント』、通称・1億円トーナメントだ。

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 Uインターは92年10・23日本武道館でエース髙田延彦が、プロレス界の問題児だった元・横綱の北尾光司を右ハイキックでKOしてその人気が大ブレイク。翌93年には元・新日本プロレスのエース外国人レスラーで、アメリカのメジャー団体WCWの現役世界ヘビー級王者だったベイダー(Uインターでのリングネームは、新日本プロレスが「ビッグバン・ベイダー」の商標を取得していたため「スーパー・ベイダー」に変更)の招聘に成功。同年12月には真冬の神宮球場で髙田延彦vsスーパー・ベイダーをメインにしたビッグマッチを開催し、4万6187人(超満員札止め=主催者発表)の大観衆を動員し、飛ぶ鳥を落とす勢いだった。

「Uインターがおかしくなってきたのは…」

 しかし、このように表面的には絶好調に見えたUインターだったが、内情は大きなスポンサーがついておらず、地上波や大手衛星放送のテレビ放映権料もない。それでいてUWF系団体の中では最も大所帯でランニングコストがかかったため、常に刺激的な企画を投入し満員の観客を集め続けなければいけないという、自転車操業が続いていた。

 そんな中で企画されたのが、優勝賞金1億円の“現ナマ”を用意し、国内の主要プロレス5団体のエースに出場を要請する招待状を公開で行なった『’94プロレスリング・ワールド・トーナメント』だ。しかし結局、他団体からの参戦はなく、通常のUインター参戦選手だけのトーナメントとなり、お世辞にも成功とは呼べないものとなってしまった。

 Uインター生え抜きレスラーだった高山善廣は、のちに当時をこう振り返っている。

「Uインターがおかしくなってきたのは、1億円トーナメントからですね。当時、Uインターは毎月のように日本武道館でやっていて、1億円トーナメントの時も見た目は満員に見えるんですけど、招待券目当てのお客が増えちゃってたんです」

 ここからUインターの経営状況は悪化していき、翌95年の新日本プロレスとの対抗戦に踏み出す遠因となった。そんな“1億円トーナメント”をあらためて振り返ってみよう。

【次ページ】 「現ナマ1億円」前代未聞の記者会見

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