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あの落合博満を「50打数9安打、打率.180」に抑えた天敵がいた…45歳で死去“奇跡のリリーバー”盛田幸妃とは何者だったのか? 自由すぎた右腕の豪快伝説
posted2026/06/08 17:00
横浜時代の盛田幸妃。1992年はロングリリーフもこなして規定投球回をクリアし、最優秀防御率のタイトルを獲得した
text by

NumberWeb編集部Sports Graphic Number Web
photograph by
Sankei Shimbun
「お前で怪我をすれば、俺のタイトルがパーになる」
北海道南西部・鹿部町出身の盛田は、函館有斗(現・函館大付属有斗)から1987年、ドラフト1位指名で大洋に入団する。プロ入り後に習得したシュートが転機となり、1992年は52試合に登板し、14勝6敗2セーブ。中継ぎでありながら規定投球回を超える131回3分の2を投げ、防御率2.05で最優秀防御率のタイトルを獲得した。
史上唯一となる3度の三冠王に輝いた落合博満は、現役時代に最も苦手だった投手として盛田の名前をあげている。対戦成績は50打数9安打、打率にして.180。まさに“落合の天敵”だった。強烈な負けん気の強さと、右打者の内角を抉るシュートの威力に、落合本人も盛田にこう話したという。
「お前で怪我をすれば、俺のタイトルの目論見はパーになる。お前との勝負はただ見逃して三振したところで他のピッチャーから打てば4の3。十分だろ」
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マウンド以外でも盛田の振る舞いは不敵そのものだった。キャンプでは宿泊するホテルの部屋に「スナック嘉手納」と書いた紙を貼って明け方まで飲み続けることもあれば、誰よりも早く練習を切り上げてラジコン作りに明け暮れることもあった。近鉄への移籍後も、球団関係者が「噂には聞いていたが、ここまでとは思わなかった」と口を揃えて呆れるほど、毎晩のように飲み歩いた。
1998年夏、移籍先の近鉄で好調を続けていた盛田の身体に異変が忍び寄る。妻の倫子はこう振り返る。
「就寝中にひどい揺れを感じて真夜中に起きたんです。横を見たら夫が右足から全身にかけて痙攣していた。数分しておさまると、すぐに問い詰めました。そうしたら2カ月前から何度も痙攣が起きていると答えるので、『すぐ病院に行って』と強く念を押しました。それがまさか……」
やがて、左側頭部に直径5センチほどの腫瘍が発見された。この瞬間から始まった病との闘いが、盛田を終生苦しめることになる。病を患ってもなお自由を貫いた盛田の生きざまや、妻が支えた壮絶な闘病生活の結末は、本編でさらに詳しく描かれている。
<続く>
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この文章の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。
