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脳腫瘍で味わった絶望「28歳で寝たきりになるんかよ…」“奇跡のリリーバー”盛田幸妃の復活秘話「脳の一部が失われ…野球は困難」なぜ一軍に戻れたのか?
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松永多佳倫Takarin Matsunaga
photograph byJIJI PRESS
posted2026/05/30 11:22
脳腫瘍から奇跡的なカムバックを果たし、2001年のオールスターで登板する盛田幸妃
オールスターに出場し、カムバック賞も受賞
大病を患った選手を切ることに対する世間への体裁もあり、「もう一年は様子見」ということでなんとか首が繋がった。2000年のオフは、できる練習を最大限にやり続けた。その結果、翌年の春季キャンプから好調を維持して開幕一軍入りを果たした。
体は思い通りに動かなくとも、「最後は気合いがすべて」だと言い張る盛田は、順調に登板を重ねて結果を出し続けた。新設された中継ぎ部門のファン投票1位でオールスター戦にも選出。古巣である横浜スタジアムのマウンドでセ・リーグ相手に登板を果たした。
このシーズン、近鉄はリーグ制覇を成し遂げ、歓喜の美酒に酔った。その歓喜の輪の中に盛田の姿もあった。かつての150kmの球はない。躍動感溢れるダイナミックなフォームも失った。それでも伝家の宝刀のシュートは、まだまだ生きていた。
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2001年、盛田は34試合に登板し21回3分の2を投げた。オールスター出場、カムバック賞も受賞した。そして翌2002年、“奇跡のリリーバー”としてファンに感動を与えた盛田は、燃え尽き症候群となっていた。
「優勝して、カムバック賞をもらって、他に何があるかなと考えた。俺くらいの病気になると、カムバック賞もらったら他にないでしょ。そう考えると、もういいかなと思ってね。6月に球団の人に電話して『もう辞めます』って言った」
脳腫瘍を患って4年。できるかぎりのことはやった。野球をやるためにというよりも、生きるためにリハビリを重ねて現場に復帰し、結果を出して燃え尽きた。今まで天与の才能だけで生きていた男が、初めて本気で困難に立ち向かった。燃え尽きるときは一瞬だ。野球選手としての盛田は、2001年で灰になったのだ。
現役を引退した盛田は解説者の道へと進み、酸いも甘いも噛み分けた人間ならではの語り口で人気を博した。さらに地元への恩返しのため、2004年から北海道道南で少年野球大会を主催した。
引退してしばらくは平穏だったが、2005年、ついに恐れていたことが起こってしまった。
<続く>

