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脳腫瘍で味わった絶望「28歳で寝たきりになるんかよ…」“奇跡のリリーバー”盛田幸妃の復活秘話「脳の一部が失われ…野球は困難」なぜ一軍に戻れたのか? 

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松永多佳倫

松永多佳倫Takarin Matsunaga

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photograph byJIJI PRESS

posted2026/05/30 11:22

脳腫瘍で味わった絶望「28歳で寝たきりになるんかよ…」“奇跡のリリーバー”盛田幸妃の復活秘話「脳の一部が失われ…野球は困難」なぜ一軍に戻れたのか?<Number Web> photograph by JIJI PRESS

脳腫瘍から奇跡的なカムバックを果たし、2001年のオールスターで登板する盛田幸妃

リハビリ中も気が乗らない日はパチンコに

 このときの様子を病室で見ていた妻の倫子(ともこ)は、忍びない思いで側についてやるしかなかった。

「壊れたテレビを叩けば映るように、動かない腕を体ごと壁に何度も何度もぶつけてました。ショックで動くんじゃないかという単純な発想ですけど、何かやらないと気が済まなかったんでしょうね。手術で腫瘍を取り除いたといっても、脳の一部が失われたことに変わりはないですから」

 盛田の場合、腫瘍によって右足の膝より下の筋肉が働く回路が潰されており、別の脳の回路で代用するしか復帰の道はなかった。ここから気の遠くなるようなリハビリが始まった。

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 まず右半身不随のため、座る練習から始める。幸い腕は脳の腫れが引くとともに動くようになった。問題はまったく動かない右足首だ。まずは右半身に弱い電流を流して筋肉に人工的なショックを与え、徐々に動かしていく訓練をする。理学療法士の介助を受けながら皮膚を叩いてさまざまな刺激を与えることで、ひとつの動作を盛田の脳の回路に刷り込ませる。それを来る日も来る日も繰り返す。筋肉を鍛えるのと違って、複雑な脳神経のトレーニングは疲れがとれにくい。盛田は、この過酷なリハビリを根気よく続けた。

 このリハビリ期間について盛田自身、思うことがあったという。

「半身不随で寝たきりのときに『頑張って』と声をかけられても、どうやって頑張ればいいんですか、という思いだった。だから脳腫瘍になってからは、病人にむやみやたらと『頑張って』と言わないようにした。毎日リハビリをやっていたら飽きるし、一生懸命やっていても回復しているかどうか状況が見えにくい。だから気が乗らないときは、『今日リハビリやめようかな』とパチンコに行っていた」

 気持ちが切れたときは平気でパチンコに行って憂さ晴らしをする――盛田らしいといえば盛田らしい。オンとオフを巧みに切り替えた効果もあってか、手術から約1カ月後の10月19日、盛田は病院の中庭で120km程度のキャッチボールができるまで回復した。

【次ページ】 「二日酔いなのに心配してもらえた(笑)」

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