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脳腫瘍で味わった絶望「28歳で寝たきりになるんかよ…」“奇跡のリリーバー”盛田幸妃の復活秘話「脳の一部が失われ…野球は困難」なぜ一軍に戻れたのか? 

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松永多佳倫

松永多佳倫Takarin Matsunaga

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photograph byJIJI PRESS

posted2026/05/30 11:22

脳腫瘍で味わった絶望「28歳で寝たきりになるんかよ…」“奇跡のリリーバー”盛田幸妃の復活秘話「脳の一部が失われ…野球は困難」なぜ一軍に戻れたのか?<Number Web> photograph by JIJI PRESS

脳腫瘍から奇跡的なカムバックを果たし、2001年のオールスターで登板する盛田幸妃

 その後も盛田は周囲が驚くほどの驚異的な回復力を見せた。手術翌年の1999年4月13日、半年ぶりにファームへ合流。問題は、一軍復帰して通用するかどうか。脳腫瘍の後遺症が残る右足首は神経障害のため完全には動かせず、まともなピッチング練習ができない。

 倫子は、この復活ロードを傍でずっと見守っていた。

「そもそもは野球選手に戻るというよりも、日常生活を安心して過ごせることが一番でした。ただ、肩や肘がなんともないから、野球もできるんじゃないかと信じてやっていたんだと思います。もしかしたら野球ができるかもという希望が、彼を勇気付けたのは間違いないです」

「二日酔いなのに心配してもらえた(笑)」

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 4月に合流して5月にブルペンに入り、練習も何もせず右足も蹴れないのに133kmが出た。6月中旬から本格的なピッチングを開始する。

 足を踏み込んでの体重移動でボールに力を乗せることできないため、腰を回転させる投げ方に変えることを試みる。右足のハンデを少しでも軽減させるには、この形が最も合理的だった。

 8月にウエスタン・リーグの試合で投げると、球速は140km前後まで戻っていた。

 そして10月7日、藤井寺球場での最終戦対ロッテ戦で、盛田は一軍のマウンドに帰ってきた。2人の打者と対戦し、三振とフォアボールのわずか10球のテスト登板だったが、とてつもなく大きな一歩だった。

 盛田は2000年を完全復活のシーズンにできるように意欲に燃えていた。

 春季キャンプは順調にスタートしたかに見えたが、いきなり右わき腹肉離れを起こす。この怪我による1カ月の出遅れが大きく響き、このシーズンは3試合しか登板できなかった。それでも盛田は自分のスタイルを貫き通す。頭の手術をしたからといって自重して生活を変える気などさらさらない。医者から「血管の病気ではなく腫瘍の除去だから、アルコールとタバコは大丈夫」と言われたこともあって、毎晩のように盛り場に繰り出していた。

 当時のことを、盛田はこう証言していた。

「ファームに落ちて、練習といってもこんな体だから無理にはできないし……。毎日飲みに行ってたね。朝まで飲んで昼過ぎに起きて練習に行っても『盛田、大丈夫か!?』って二軍の首脳陣に心配してもらえるから。二日酔いで頭が痛いだけなのにね(笑)。くさっていたというより、やることがないからもうストレスが溜まる一方だよ」

【次ページ】 オールスターに出場し、カムバック賞も受賞

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