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「(日本ハム入団の可能性は)ゼロです」大谷翔平ドラフト1位強行指名「本人に会えず…」わずか18分間で終了した入団交渉から、日本ハムが逆転した日
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中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byNanae Suzuki
posted2026/04/12 11:03
2013年、日本ハム1年目の大谷翔平(当時19歳)
そして、2012年12月9日、ついに大谷が日本ハムに入団の意思を伝えるのだ。クリスマスの25日には単独の入団会見に臨み、札幌ドームでは打席に栗山監督を迎えて、背番号11のユニフォーム姿でマウンドに上がった。それは、前例のない二刀流の冒険と戦いの始まりでもあった。
だが、周囲の声は想像以上に厳しいものばかりだった。初めてのキャンプで、名だたる野球評論家たちから無謀だと批判されてしまうのだ。
『週刊ベースボール』2013年2月11・18日合併号では、「大谷翔平 二刀流への挑戦」という特集記事が掲載されているが、球界OBたちの声がほぼすべて二刀流に否定的なものばかりだった。「どっちつかずになってしまう。どこかの時点できっちりと区切りをつけたほうがいい」(元NPB監督経験者)。「あくまでアマチュアレベルでの話。プロで両方をやろうとすれば、どちらかがおろそかになると思います」(野手転向経験のある元投手)。「彼は投手と野手の両方で一流のプロ野球選手としてやっていけるのだろうか。プロ野球はそんなに甘い世界ではないと思うが」(名球会投手)と全否定である。二刀流は、そういう逆風の中でスタートしたのだ。
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しかし、数少ない理解者もいた。栗山監督が、「僕、野球界の先輩方に怒られています」と漏らすと、「何を言ってるんですか。あんな選手、野球界には80年間、ひとりもいなかったじゃない」と励ました、長嶋茂雄のようにである。
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