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「(日本ハム入団の可能性は)ゼロです」大谷翔平ドラフト1位強行指名「本人に会えず…」わずか18分間で終了した入団交渉から、日本ハムが逆転した日
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中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byNanae Suzuki
posted2026/04/12 11:03
2013年、日本ハム1年目の大谷翔平(当時19歳)
大渕SDが、パワーポイントで作った「大谷翔平君 夢への道しるべ~日本スポーツにおける若年期海外進出の考察」と題した26ページに及ぶ資料を花巻市内のホテルに持参して、大谷の両親に説明をするのだ。同世代の若いアスリートが海外進出した場合のモデルケースを示し、個人競技とは違い、野球では韓国の高校生のトップ選手が渡米して伸び悩んでいる事例を挙げた。日本IBMに勤めていた経験のある大渕SDは、将来、メジャーでトッププレーヤーになるには、いきなりアメリカへ行くより、日本ハムでプレーしてからのほうが目標に近づく可能性が高いと自作の資料を基にプレゼンしたのだ。
大谷の父・徹さんは、交渉後に「大変興味深かった。持ち帰って本人に伝えたい」とコメントを残す。当初は絶望的と思われた風向きが、徐々に変わり始めていた。
栗山監督が伝えた「アメリカの現実」
そして、11月17日の大谷本人も同席した4度目の交渉で、投手と野手の両方で育成する“二刀流”プランが提示される。ただ、当初は大谷自身も二刀流の実現には懐疑的だった。プロの世界でそれが本当に可能なのか、早い段階で打者一本になってしまうのではないか。大谷は打撃のほうに自信を持っていたが、やっていて楽しいのは投手だった。今、アメリカへ行ったら、投手一本で勝負することになるだろう。だが、日本ハムは両方で超一流を目指すパイオニアになろうと提案した。
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この前代未聞の育成プランに、大谷も「自分の中で(ピッチャーとバッターの)どちらでやりたいのか……、やりたいほうはピッチャーなんですけれども、どちらで、というのが自分の中ではっきりしていない。どちらでもやってみたい。すごく嬉しかった」と強く心を動かされたことを明かしている。11月26日には、キャスター時代に中学生の大谷を取材したことのある栗山監督も初めて岩手での交渉に同席する。栗山は日本ハムに来てほしいと感情に訴えるのではなく、自分がメジャーリーグを取材する中で感じた、アメリカ球界の現実を整理して伝えた。
「メジャーで活躍するためには絶対に日本でやって、メジャー契約をしてアメリカへ行くべきだ、と。評価をもらって、場所をもらって、向こうに行かないと、なかなか日本人選手は活躍しづらいんだという話はしました。僕は『日本ハムへ来てください』ということは一言も言いませんでしたし、大谷翔平の夢を叶えるんだったら、俺だったらこうします。そういう話をさせてもらいました」(『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』/佐々木亨/扶桑社文庫)
球界OBの厳しい声「そんなに甘い世界ではない」
12月3日にも、栗山監督が同席して大谷と両親に再び会い、契約金1億円プラス出来高5000万円、年俸1500万円に加えて、前年までダルビッシュ有がつけていた「背番号11」を提示する。


