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原田雅彦「ふなきぃ~」のウラ側…「俺と斎藤で楽にする」岡部孝信に聞く“長野五輪ジャンプ団体戦”の真実「テストジャンパーの頑張り、無駄にできない」

posted2026/02/10 11:51

 
原田雅彦「ふなきぃ~」のウラ側…「俺と斎藤で楽にする」岡部孝信に聞く“長野五輪ジャンプ団体戦”の真実「テストジャンパーの頑張り、無駄にできない」<Number Web> photograph by JMPA

長野五輪で金メダルを獲得したスキージャンプ団体戦のメンバー。左から船木和喜、原田雅彦、岡部孝信、斎藤浩哉

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松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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JMPA

1998年、“日の丸飛行隊”が悲願の金メダルを獲得した長野五輪のスキージャンプ団体戦。日本のスポーツ史に残る名シーンは、どのようにして生まれたのか。当時のメンバーで、金メダルの立役者でもある岡部孝信氏に話を聞いた。(全4回の2回目)

 ◆◆◆

大雪のなか、原田雅彦がまさかの「79.5m」

 ノルディックスキー・ジャンプは気象条件に大きく影響を受ける競技だ。開始時間が変更になることもあれば、大会そのものが中止になることもまれではない。あるいは試合の中で、選手がスタートを切るのを待たされることもしばしばだ。

 1998年2月17日。長野五輪の団体戦もまた、荒れた天候のもとでの試合となった。

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 午前8時30分に始まった試合前の試技は途中でキャンセル。午前9時30分に試合が始まるとアナウンスされたが実際は午前10時をまわってスタートした。通常なら中止になって不思議ではないコンディションだった。岡部孝信はそのときの心境をこう語る。

「あまり悪い条件では正直飛びたくない、だけど中止にはなってほしくない。何時に始まっても飛ぶ準備だけはしておく、気持ちと体を整えることに集中する……それだけを考えていました」

 その賜物か、岡部は121.5mで1番手のグループで2位につける。

 続く斎藤浩哉が魅せる。悪天候の中でも130.0mを記録、日本をトップに押し上げる。

 降りしきる雪のなか、3番手のグループが始まる。日本は原田雅彦。スタート。踏み切る。空中へ飛び出した体は、K点よりもはるか手前に落ちる。観客席から「ああ……」と落胆の声が聞こえる。距離は79.5mだった。

岡部孝信「自分だったら60mだったかも」

 数字だけを見れば大きな失敗だった。リレハンメル五輪団体の失速を想起させた。だが岡部は言う。

「あの雪だったらしようがないよな、と。『これ、スタートするのか』というくらい雪が激しかったので、相当滑らなかったと思います」

 そのとき、原田の助走速度は87.1キロ。直前の選手が88.8キロ、その前の選手は89.3キロだった。原田の助走がどれだけ遅かったか、条件に恵まれなかったのかがよく分かる。速度が飛距離に直結するジャンプ競技において、この違いは大きい。

「自分だったらどこに落ちていたか。79mまで行かず、60mだったかもしれない。あれはどうにもならなかったですね」

 4番手の船木和喜も条件に恵まれず118.5m。1本目を終えて日本は4位にとどまった。

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