オリンピックへの道BACK NUMBER

岡部孝信を直撃「スキージャンプの伝説」あの長野五輪で何が起きていた? 4年前には“リレハンメルの悲劇”「失敗はつきもの」原田雅彦を責めない理由

posted2026/02/10 11:50

 
岡部孝信を直撃「スキージャンプの伝説」あの長野五輪で何が起きていた? 4年前には“リレハンメルの悲劇”「失敗はつきもの」原田雅彦を責めない理由<Number Web> photograph by Naoya Sanuki/JMPA

1998年の長野五輪で団体戦金メダリストとなった岡部孝信。4年前の“悲劇”を乗り越えての栄冠だった

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

PROFILE

photograph by

Naoya Sanuki/JMPA

1998年、“日の丸飛行隊”が悲願の金メダルを獲得した長野五輪のスキージャンプ団体戦。日本のスポーツ史に残る名シーンは、どのようにして生まれたのか。当時のメンバーで、金メダルの立役者でもある岡部孝信氏に話を聞いた。(全4回の1回目)

 ◆◆◆

 冬季オリンピックでの印象的なシーンとして、今も語り継がれるのは1998年長野五輪のジャンプ団体戦である。リアルタイムで観ていた人はむろんのこと、当時生まれていなかった世代もまた、折々にリピートされる試合の映像とともに日本が劇的な展開で金メダルを獲得した事実を知り、新鮮な感動を覚えるほどに強く歴史に刻まれている。

 その後長きにわたり、日本ジャンプ界は低迷期を送ってきたが、その要因は長野五輪の翌シーズンに行われたルール改正にあるという認識も根強い。そしてその苦しい期間を乗り越え、今日、再び栄光へと手が伸ばせる場所に戻ってきた。

ADVERTISEMENT

 長野五輪から28年が経った今、金メダルの立役者の一人であり、低迷期を戦い抜き肌で知るジャンパーの岡部孝信に、長野大会の真実、ルール改正の影響、現在の日本代表について尋ねた。

リレハンメル五輪の“悲劇”

 岡部孝信は現在55歳。雪印メグミルクの総監督を務めている。五輪への参加は1994年リレハンメル、1998年長野、2006年トリノ、2010年バンクーバー(出場はなし)と4度を数える。最初の大会から最後の大会までの期間は実に16年に及ぶ。その事実が第一線に長く立ち続けたことを雄弁に物語るが、岡部がジャンプ界を越えて広く知られる最大の要因は、長野五輪団体戦金メダルのメンバーであることだ。

 長野五輪について知るには、まずは岡部も出場したリレハンメル五輪の団体戦に触れなければならない。

 1番手に西方仁也、2番手に岡部、3番手に葛西紀明、4番手に原田雅彦という布陣で臨んだ日本は、1本目を終えて486点で2位。1位のドイツに0.8点差とごくわずかな差につける。 

 2本目に入ると日本が高いパフォーマンスをみせつける。西方が135m、岡部が133mと大ジャンプをそろえたのに対し、ドイツは1番手が124m、2番手が108mと伸びない。すでに西方の時点でトップに立っていた日本はこの時点で767.9点、対するドイツは701.4点と、日本が大差をつける。続く3番手のグループ終了時点でも日本883.9点、ドイツ828.7点で55.2点差。もはや日本の優勝は堅いと思われた。

 だが、悪夢が襲う。アンカーを務めた原田のジャンプは97.5m。結果、最後の最後で逆転を許し、日本は銀メダルに終わった。

【次ページ】 岡部孝信の本音「失敗がつきもののスポーツですから」

1 2 3 NEXT
#岡部孝信
#斎藤浩哉
#原田雅彦
#船木和喜
#葛西紀明
#西方仁也
#ミラノ・コルティナ五輪
#オリンピック・パラリンピック

冬季スポーツの前後の記事

ページトップ