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原田雅彦「ふなきぃ~」のウラ側…「俺と斎藤で楽にする」岡部孝信に聞く“長野五輪ジャンプ団体戦”の真実「テストジャンパーの頑張り、無駄にできない」
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松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byJMPA
posted2026/02/10 11:51
長野五輪で金メダルを獲得したスキージャンプ団体戦のメンバー。左から船木和喜、原田雅彦、岡部孝信、斎藤浩哉
競技続行を引き寄せたテストジャンパーの奮闘
競技が2本目に入ったときのことだった。スタートこそしたものの、悪天候は変わらない。第1グループの8人が終えた時点で中断となり、このまま中止となる可能性が高まった。その場合、1本目の順位がそのまま試合の結果となる。つまり日本は4位で表彰台を逃すことになる。
審判団の協議にあって、中止はやむなしという声も強まったが日本側は必死に続行を主張。そして下されたのは、「テストジャンパー25人全員が成功させたら続行」という条件だった。テストジャンパーとは競技開始前や中断中に試験的に飛び、ジャンプ台のコンディションを整え、チェックする役割を担うジャンパーだ。団体戦では25人が集められていた。
「1人も失敗できない」
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厳しい条件を、過酷なミッションを与えられた彼らは見事にクリアしてみせた。そして競技続行が決まった。
岡部は言う。
「ふつうだったら中止です。そこを日本のスタッフ陣が頑張って交渉し、テストジャンパーの頑張りがあったから続行されたんです」
その中にはリレハンメル五輪代表で団体戦にも出た西方仁也もいた。長野五輪代表にはなれず、テストジャンパーとして参加していた。
「代表争いをしていて、そこを外れてテストジャンパー。心境は分かります。そこをこらえて日本チームのためにやってくれた。感謝していますよ。彼に限らず、とにかく危ない状況だったので飛びたくなかったと思うけど、みんな無理して飛んでくれた。やっぱりこれは無駄にできないなと思いますよ」
出場した4名やコーチにとどまらず、まさに団体で勝ち取った栄光であった。
「自分のやってきたことは間違っていなかったというのと、期待に応えられた思いがありました」
「原田さんの79.5mはたまに言いますよ。本人にね」
リレハンメルから続くストーリー、悪天候がもたらした劇的な展開。そしてその中にいた人々の、それぞれの背景から生まれる思い――長野五輪ジャンプ団体戦は、それらが絡み合い、語り継がれる試合となった。
その立役者たちは、「すぐワールドカップがあったので、祝勝会とかは特に」と余韻に浸ることなくシーズンを過ごした。
「シーズンが終わって、札幌でパレードがあったのは覚えていますね。オープンカーに2人ずつ、僕と船木、斎藤と原田さんという組み合わせでした」
試合が終わってから今日まで、選手たちの間で団体戦の話をすることは特になかったという。
「ただ、原田さんの79.5mはたまに言いますよ。本人にね。原田さんはいつも『いやあ、申し訳ない』と。こっちは『条件悪いにしてもなあ』って(笑)」
笑い話にできるのも、幸福な記憶として残されているからこそだった。
栄光の長野五輪団体戦。だがその後、日本は長い低迷に苦しむことになった。
<続く>

