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岡部孝信を直撃「スキージャンプの伝説」あの長野五輪で何が起きていた? 4年前には“リレハンメルの悲劇”「失敗はつきもの」原田雅彦を責めない理由
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松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byNaoya Sanuki/JMPA
posted2026/02/10 11:50
1998年の長野五輪で団体戦金メダリストとなった岡部孝信。4年前の“悲劇”を乗り越えての栄冠だった
岡部孝信の本音「失敗がつきもののスポーツですから」
飛び終えた岡部は原田のジャンプを下で見守っていた。
「原田さんが飛ぶまでは金メダルは確実だと思っていましたけど、まさかの銀メダル。でも自分の中では満足のいくジャンプができていましたし、しようがないですよね」
岡部は言う。穏やかな、淡々とした口調だった。責めるようなトーンは一切ない。
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「ワールドカップの団体戦でも、だいたい1人は失敗することがあります。だから深く恨んだりするようなことはないですし、失敗がつきもののスポーツですから」
そう言いつつ、笑顔で続けた。
「まあ、さすがにあの失敗は大きかったですけどね。『ええっ』と思いました。たぶん、踏み切りが早かった。立つのが早かった。オリンピックの重圧、(最後の)4番手という重圧が大きかったんでしょうね」
日本のジャンプ界が受けた衝撃は大きかった。何よりも原田の打撃は大きかった。
それでも、岡部を含め、前を向いた。次の五輪の開催地が長野であったからだ。
「長野開催ということで注目されていましたし、銀メダルだったから個人も含めて金メダルを獲ってやる、と取り組んでいました」
そしてリベンジの舞台となる長野五輪が開幕する。
このとき、ジャンプの日本代表は8名いた。最初に行われたのはノーマルヒル。出場したのは船木和喜、原田雅彦、斎藤浩哉、葛西紀明。岡部は外れた。
「ラージヒルに合わせて調整してくれ、と言われました」
そしてラージヒルでは船木、原田、斎藤、岡部が出場する。
「ワールドカップよりもいい内容で1本目は2位につけて、ただ2本目はもうちょっと向かい風が吹いてくれれば……。まあしようがないです」
岡部は6位で個人ラージヒルを終えた。
最後の種目は、前回大会で無念の銀メダルに終わった団体戦。
「コーチ陣が話し合って、ラージヒルが終わってからメンバーが発表されました」
出場する4名はラージヒルと同じメンバーだった。
「試合の結果と調子を見て? それもありますけど、直前に決めたわけではないと思いますね。だいたい決まっていて、よっぽど調子の悪い選手がいたら替わる、という感じだったんじゃないでしょうか。自分も出ることを前提に調整していました」
葛西紀明は悔しさを噛みしめて…当時のライバル関係
当時の日本ジャンプ陣は、五輪代表の8名を中心に、ハイレベルの中でしのぎを削っていた。その中で実際にオリンピックの個人戦や団体戦に出るのは簡単なことではなかった。お互いが強烈なライバル関係にあった。

