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「プリクラ撮って!」「福岡から夜バスで…朝起きたら千葉」高校サッカー“悲劇の逸材DF”金古聖司が明かす…1990年代最強校のトガった青春
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生島洋介Yosuke Ikushima
photograph byKazuaki Nishiyama
posted2026/01/18 11:01
東福岡時代の金古聖司。90年代最強を誇った同校の“トガった青春”とは
当初は「自転車で15分くらいの公立校」に行くつもりだったものの、気づけば東福岡入学の決意を固めていた。国見や鹿児島実業といった強豪校からも誘いがあったが、寮生活を嫌い「実家から通えること」を条件に東福岡を選んだ。
朝5時に起床し、5時50分の電車に飛び込む毎日。学校に着けば7時40分の課外授業から勉強が始まり、練習を終えて帰宅するのは夜の20時30分を過ぎていた。
突然のCB転向…2学年先輩に最高のお手本が
ピッチの上でも大きな変化を迫られた。
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中学時代は攻撃的なボランチだった金古は、点取り屋だった千代反田とともに、DFへコンバートされたのだ。守備の基本など何も知らず、当初はゴール前でも平然と股抜きを狙っていたというが、2学年上の先輩に素晴らしいお手本がいた。後に名古屋グランパスで活躍した古賀正紘の背中を追い、そのプレーをひとつひとつ盗んでいくことで、東福岡のセンターバックのセオリーを身につけていった。
早朝から電車に揺られ、新しい役割でサッカーを追求する。入学前の春休みからトップチームの遠征に同行していた金古は、すぐに定位置をつかんで中心選手になっていった。1年時はインターハイと選手権は県予選で敗れるも、全日本ユース(現高円宮杯U-18プレミアリーグ)で準優勝。同級生の宮原裕司、富永康博ら後にJリーガーとなる戦友とともに、U-16日本代表としてアジアユースにも出場した。そして2年時には、公式戦49勝2分を記録し、史上初の高校三冠を達成するに至る。
「プリクラ撮って!」「夜は福岡→バスで翌朝千葉」
そんなサッカー漬けの日常の一方、彼らはピッチを離れれば、今の高校サッカー界では想像もつかないほどの注目を集めていた。
「遠征先の宿舎の前には、どこで知ったのかファンの方がずっと待っていて。コンビニや洗濯に行くのも一苦労でした。当時は『プリクラ撮ってください』なんて言われることもありましたね」
バレンタインデーともなれば、学校には選手に宛てた手紙やチョコレートが山のように届いた。当時の異様なモテ期を振り返り、金古は「いま奥さんに言っても、まったく信じないです」と笑う。
遠方への遠征も日常の一コマだった。

