野ボール横丁BACK NUMBER

大谷翔平「じつは落選していた」楽天ジュニアのセレクション…そのエースだった“仙台の天才”の告白「私が野球に絶望し…プロを諦めるまで」 

text by

中村計

中村計Kei Nakamura

PROFILE

photograph byMakoto Kenmizaki

posted2025/12/20 11:04

大谷翔平「じつは落選していた」楽天ジュニアのセレクション…そのエースだった“仙台の天才”の告白「私が野球に絶望し…プロを諦めるまで」<Number Web> photograph by Makoto Kenmizaki

大谷翔平と同年だった「仙台育英の天才」はなぜ野球に絶望したのか(写真はイメージです)

「けっこう飲みに行ったりもしていました。そのときに干されているみたいな話は聞いていました。でも、大学まで行くとすごい選手を見るじゃないですか。同世代で大阪桐蔭のキャプテンだった水本弦は亜細亜に行ったんですけど、1年生のときから日本代表に選ばれてるんですよ」

 宮城県出身の小杉も小学校時代から渡辺郁也のことを知っていた。

「正直、大学に入った直後あたりは僕らも郁也はいずれプロに行くんだろうなと思っていたんです。日体大と青学でオープン戦とかすると、郁也が出てきて、普通に右中間にスリーベースとか打ったりするんで。やっぱり、すげえなって。でも、だんだんプロへ行ける選手と、そうでない選手のラインみたいなのも見えてきて、郁也がだんだんちっちゃく見えるようになってきたなというのはありました」

ADVERTISEMENT

 渡辺は大学4年になると、監督が交代したこともあり、主に「一番・ファースト」として再び試合に起用されるようになった。青学の同期で、渡辺のことを小学生のときから知っている岡野はこう感服する。

「彼は小さい頃からずっとすごいんですよ。大学でも2年間ぐらいほぼ腐っていたのに、最後、4年生になって試合に出るようになったら打つんですもん。能力的には本当にすごいんです」

 すごかった――。

 渡辺だけではない。今回の取材で小学校時代、あるいは中学時代にそう言われていた人たちに何人も会ったが、そのほとんどがプロ野球というステージにたどり着く前にレースを終えていた。

 無論、渡辺もそのうちの一人だった。

 渡辺の話を聞きながら、無遠慮にも程があると思いつつも、何度も口を衝きそうになった言葉がある。

 あきらめるのが早過ぎるのではないか――。

<続く>

書籍『さよなら、天才 大谷翔平世代の今』(文藝春秋)。大谷に「負けた」と言わせた少年。大谷が落選した楽天ジュニアのエース……天才たちは、30歳になってどうなったのか? 徹底取材ノンフィクション。(書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします)
#2に続く
大谷翔平を超えていた“消えた天才”は今「私みたいになって欲しくない」プロ野球を諦めた“その後”…仙台育英の“ベンチ外”同級生は巨人でプロに

関連記事

BACK 1 2 3
#大谷翔平
#ロサンゼルス・ドジャース
#北海道日本ハムファイターズ
#花巻東高校
#渡邉郁也
#仙台育英高校
#松原聖弥
#藤浪晋太郎
#岡野祐一郎
#佐々木順一朗
#上林誠知
#須江航

MLBの前後の記事

ページトップ