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プロレス写真記者の眼BACK NUMBER
「少しグレていた」「学校帰りに渋谷で…」“フェリス卒お嬢様レスラー”桜井麻衣の意外な素顔「周りは東大や早慶…私は学年ビリ」《特別グラビア》
text by

原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2025/12/05 17:36
マリーゴールドで活躍する桜井麻衣。2026年1月3日には青野未来が保持する団体最高峰のワールド王座に挑戦する
やりたいように青春を謳歌した。
「今ならそれくらいはかわいい、なんですが、学校帰りに渋谷で遊んでいるときに見回りの先生に補導されて、家に帰されました。反省文……覚えていないですけれど、『もうしません』て。『誰にも迷惑かけていないじゃん』、そういう気持ちで書いていましたから。その後も懲りずに毎日渋谷で遊んでいました」
体育祭に合唱祭、バトン部…女子校での青春
桜井は自由を楽しんでいた。同時に、女子校での学生生活も満喫していた。
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「中高時代に頑張ったことといえば、体育祭委員と部活動。体育祭委員は東京体育館で行われる体育祭でクラスをまとめる役割でした。体育祭中は大きなスクリーンに中継されていて顔を抜かれる時があるんですけど、それがDVDになるんです。映像に残るなら、沢山活躍したいと思って体育祭委員を6年間やりました。1年、4年(高校1年)、5年(高校2年)の時、優勝しました。3年の時は1点差で優勝を逃して、それが悔しくて。私はC組だったんですけど、優勝を取られたA組には合唱祭で必ずリベンジしよう! ってC組の友達と誓いました」
桜井はリベンジに燃えた。
「合唱祭はコンテストで、中等部門と高等部門に分けられて、全クラスの中で最優秀賞を目指してクラスで一つの曲を合唱する形式でした。都内の大きなホールで、プロの審査員が何人もいて厳正に審査されるんです。クラスの中から一人、ピアノの演奏者を決めて、他の人はソプラノ、メゾ、アルトのパート別に一曲を完成させる。朝練、休み時間、放課後も練習しました。結果は16クラス中、1位。最優秀賞で体育祭のリベンジができたんです! クラスみんなで泣きました!」
そう言うと、桜井は「私の執念はこの頃から変わってないのかもしれませんね」と頷いた。
「それとは別に並行して部活はバトン部に6年間所属していました。私が新入生として入部した年は同じ学年の新入部員が100人以上いました。文化祭で1000人くらいの前で踊ったりする機会があるんですけど、人数が多いから選抜メンバーにならないと出番が少ないんです。私は最初、フリが全然覚えられなくて選抜のメンバーに入れなくて……」
桜井はバトン部でも一生懸命だった。
「最初は100人いた同学年のメンバーはどんどんやめていき、最後は20人くらいでした。週4で練習があり、大会の前だと合宿があって真夏の冷房無しの30度くらいある体育館で、朝から晩まで計10時間くらい練習。コーチはPL学園出身でとても厳しい方でしたので、日中の練習で失敗が多い時は休憩なし。6時間バトンを持って踊り続けたことは人生で一番辛かった思い出です。都内の選手権大会で3位、大田区総合体育館での都大会に出場し、さいたまスーパーアリーナでの関東大会まで出場することができたんですが、全国大会は出場ならず。ソロのコンテストもあって、入門、初級、中級、上級それぞれの部門で金賞を受賞しました。目標を決めたら、諦めない忍耐力は部活で鍛えられたのかもしれません」
この時の部活のメンバーは昨年、マリーゴールド旗揚げ後の両国大会に応援に来てくれたという。


