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「少しグレていた」「学校帰りに渋谷で…」“フェリス卒お嬢様レスラー”桜井麻衣の意外な素顔「周りは東大や早慶…私は学年ビリ」《特別グラビア》 

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原悦生

原悦生Essei Hara

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photograph byEssei Hara

posted2025/12/05 17:36

「少しグレていた」「学校帰りに渋谷で…」“フェリス卒お嬢様レスラー”桜井麻衣の意外な素顔「周りは東大や早慶…私は学年ビリ」《特別グラビア》<Number Web> photograph by Essei Hara

マリーゴールドで活躍する桜井麻衣。2026年1月3日には青野未来が保持する団体最高峰のワールド王座に挑戦する

「両親が2人とも仕事をしていたので、学校が休みの期間は福岡のおばあちゃんの所に預けられていました。6歳から付き添いなしで一人で乗れるんですが、その一人で乗る飛行機の時間が好きでした。一人旅の子供は座席のエリアが固められるんです。隣には知らない子供が兄弟姉妹とかで乗っていて。当時、ゲームボーイのポケモンが流行っていて、皆ポケモンしていました。私もハマっていて。隣の席の子が話しかけてくれてポケモンゲームで対戦して。それから飛行機で出逢った色んな子と通信ケーブル繋いでポケモンバトルしていました。飛行機を降りると空港には祖母が迎えに来てくれていました」

 桜井はこの8月に市川市で「凱旋興行」をした。

「幼少期は市川で育ちました。小学生の頃の習いごとはピアノ、スイミング、塾に家庭教師もついていました。休みの日はうちに友達を呼んで大好きなゲーム三昧でした。ニンテンドウ64、プレステ、ゲームボーイ……。シューティングゲームとか、格闘技のゲームとかいろいろ」

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 桜井は「小学生で少しグレていた」と言い出した。

「親がヤバいと思ったんでしょうね。この子はちゃんと教育受けさせないと、って。悪い方に染まっちゃうタイプの人っているじゃないですか? そういう所ある気がします。それで中学受験をすることに。それまでは親に従順だったんですが、自我に目覚めて、反抗期に入って。友達の影響もあって明るめの茶髪は美容室でやってもらっていました。パーマも美容室でかけていました。ピアスも開けていて、9歳からケータイも持っていました。今じゃ珍しくないですが、当時は高校生でも持っている人、少なかったんです。塾に行っていたので連絡用でもあったんですが」

「何度も反省文を書いた」「学校帰りに渋谷で…」

 そんなこんなで桜井は中学受験へと向かう。

「小4から3年間、中学受験の塾に通いました。受験本番当日に同じ受験生で仲良くなった子がいて、『お互い受かったら良いね!』と話して、バイバイしました。2、3日後に結果がでて、合格でした! 2カ月後、入学式当日、試験で仲良くなった子を見かけて、『キャー! また会えて嬉しい!』って、再会。しかもその子とはクラスも一緒でした。中高の部活も6年間一緒で、私のプロレスデビュー戦も観に来てくれました」

 桜井は品川女子学院で中高の6年間を過ごすことになる。

「今の自分が形成されたのは間違いなく中高時代。気の合う友人、価値観の合う信頼できる一生の友人たちと出会いました。でも中学になってから、環境が良すぎて、ここでもグレたこともあります。友達は小学校の時からこの大学に行きたいからとか、将来就きたい職業への明確な夢、目標があって受験してこの学校へ入っていて。でも私は将来何になりたいかも決まってなければ、行きたい大学も目標もなくて。何の為に勉強するのか、その目的がなくなってしまいました」

 そのころの桜井は弾けていた。

「中学生の時は何度も反省文を書いていた。校則違反、ダメなのにやってました。法律は犯していないですよ。髪の毛の色を注意されて、いったん、黒く染める。でも色が抜けてくる。その繰り返し。これくらいだったら、みたいに徐々に徐々にゆるく(笑)。ピアスも隠れているからわからないと思ったら、先生の耳に入って、たまにパッと見られる」

【次ページ】 体育祭に合唱祭、バトン部…女子校での青春

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