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「誰か指してくれないかな」筋骨隆々から原因不明の異変…豊島将之の対局直後、55歳で死去・真部一男の壮絶な晩年「しかし幻の名手は1カ月後」
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田丸昇Noboru Tamaru
photograph by日本将棋連盟/Nanae Suzuki
posted2025/12/07 11:02
55歳で死去した真部一男にとって、人生最後の対局相手は豊島将之だった
「論考を書くことが師匠の生きがいのようです」
真部が尊敬していたのは、不世出の鬼才だった升田幸三実力制第四代名人である。その升田について論評した『升田将棋の世界』(日本将棋連盟)は2005年に刊行され、第18回将棋ペンクラブ大賞の著作部門で大賞を受賞した。
真部八段と私こと田丸はかつて、順位戦A級やB級1組に在籍していた。しかし実力がともに減退し、やがてC級2組に降級した。
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強く記憶に残るのは、2007(平成19)年10月30日である。
私はC級2組順位戦の対局で真部と同室になった。朝の挨拶をして目を向けると、憔悴しきった表情に驚いた。私は12時前に昼食で外出した。そして対局室に戻ると、真部の将棋はまだ序盤戦なのに、盤駒は片付けられていた。記録係に訊くと、真部は昼休前に突然投了したという。体調がかなり悪かったようだ。
豊島将之戦の投了局面と“幻の名手”
真部が緊急入院すると、弟子の小林は見舞いに行った。真部は豊島将之四段との対局の投了局面について、こう語った。
「あそこで4二角と打てば、俺の方が指せると思う」
「いい手ですね。でも先生は角をなぜ打たなかったのですか」
小林はこう問いかけた。すると真部から、こんな答えが返ってきたという。
「角を打つと相手は長考するだろ。すると投了できなくなってしまう。誰か指してくれないかな。君は飛車を振らないからな……」
同年11月24日。真部は転移性肝腫瘍のため55歳で死去した。将棋連盟は九段を追贈した。
通夜が行われた11月27日は、C級2組順位戦の対局日だった。小林は夕食休憩のときに別室の対局を見にいくと、真部が指したかった△4二角の一手を、大内延介九段が指していて驚いた。大内は前述の真部師弟が話したことは知らず、同一局面に偶然になったのだ。対戦相手の村山慈明四段はその対策に困り、110分も大長考した……。
それにしても真部が「誰か指してくれないかな」と病床で言ったことが、別の棋士によって1カ月後に指されるとはとても不思議だった。まさに幻の名手となった。
米長、大橋巨泉らが悼んだ
『将棋世界』2008年新年号では、真部九段の追悼企画が掲載された。故人をしのんだ文章の一部を抜粋で紹介する。

