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「高校野球が全てじゃない」ドラ3左腕はなぜ高校生でトミー・ジョン手術を決断できた? ウラ側にあった指導者の想い「自分のような選手は出したくない」 

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田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2025/11/11 06:02

「高校野球が全てじゃない」ドラ3左腕はなぜ高校生でトミー・ジョン手術を決断できた? ウラ側にあった指導者の想い「自分のような選手は出したくない」<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

健大高崎の生方啓介部長は自身も現役時代に大きなケガに苦しんだ。その経験が佐藤龍月のトミー・ジョン手術決断に大きな影響をあたえていた

 下級生時代にトミー・ジョン手術の岐路に立たされた選手の多くは、手術を避けリハビリなどの保存治療を経て復帰を目指す。だが佐藤は、両親や監督の青柳博文、生方とひざを突き合わせて話し合い、8月に手術を行った。

 決断の理由は、全員が一致していた。

「高校からプロに行くため」

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 生方が彼らの想いを代弁する。

「龍月本人が『どこを目指しているのか?』と目を向けたときに『プロに行きたい』と。そこを一番の目標に設定してきたからこそ、『すぐにトミー・ジョン手術をしましょう』と、みんなで決めることができました」

 そして生方は、どこか自分に言い聞かせるように、うん、うんと頷きながらこう結ぶ。

「本当に高校がゴールじゃないので。高校野球が全てじゃないし。そこはもう、私も痛いほどわかっているので」

右ひじ故障→左投げの野手に…部長の経歴

 生方は、「自分も佐藤と同じ気持ちでやっていた」と言った。佐藤に手術を決断させたことへの想いは、決して指導者としての言い訳や免罪符ではない。それは、生方自身の野球人生をたどればわかることだ。

 もともと右投げのピッチャーだった生方は、中学に進学した時点で利き腕の右ひじを故障して投げられなくなり、左投げの野手に転向した。ところが、大学時代に古傷の痛みが再発し、学生コーチの道を選んだ。この経験が、生方の原点として息づいているのである。

 一時は理学療法士の資格取得を目指していたこともあり、健大高崎で指導者となってからはイチローが取り入れた初動負荷トレーニングなど、選手ファーストのメニューを積極的に導入。外部トレーナーなどからも知識を吸収し、学びを日々アップデートしている。

 これも、全ては選手のため――生方だからこそ、その言葉には説得力と重みがある。

「自分のような選手を出さない、高校で野球人生を終わらせたくない、と。けがなくやり切って次のステージにどうやって繋げていけるか? そのサポートをしていくことが自分の大きな役目だと思っていますんで」

 結果的に佐藤は故障し、大手術をした。自分のことのように落胆した生方ではあったが、身をもって経験しているからこそ顔を上げた。

 3年の夏までまだ1年もあるではないか。それまでの間、ちゃんとサポートすれば龍月を必ずいい方向へと導ける――そう信じた。

【次ページ】 「プロに行くために手術をしたんだから…」

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