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「高校野球が全てじゃない」ドラ3左腕はなぜ高校生でトミー・ジョン手術を決断できた? ウラ側にあった指導者の想い「自分のような選手は出したくない」
posted2025/11/11 06:02
健大高崎の生方啓介部長は自身も現役時代に大きなケガに苦しんだ。その経験が佐藤龍月のトミー・ジョン手術決断に大きな影響をあたえていた
text by

田口元義Genki Taguchi
photograph by
Takuya Sugiyama
中学時代にU-15の日本代表を経験する佐藤龍月は、健大高崎に入学したころからエース候補と将来を嘱望されるピッチャーだった。
当時から140キロに迫るストレートを誇った左腕について、生方啓介部長はその実力のみならず人間性を高く評価していた。
「自分は選手たちに『品格を持ちなさい』と話してきているなかで、龍月は自分の立場が分かっていて。ピンチでマウンドに上がったときの気持ちの持って行き方、周りへの声掛けとかの振る舞い、普段から誰もが認める行動をしてくれるんです。そこが一番すごいところだとは感じています」
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健大高崎の「エースの品格」を認められる左腕は、1年生の秋にはすでにチームの背番号「1」を託され、マウンドに君臨した。
昨年のセンバツ。150キロを超える同級生右腕の石垣元気との両輪が噛み合う。球速を146キロにまで伸ばしていた佐藤は、持ち味であるスライダーとのコンビネーションを武器に全5試合に登板し、22回を投げて1点も取られずマウンドの中心で吠えた。
群馬県勢で初となるセンバツ優勝の原動力となった佐藤の高校でのキャリアは、実質ここがピークとなった。
昨春のセンバツ後…「左ひじの故障」
夏の群馬大会。メンバーのなかにエースの名前はなかった。原因は左ひじの故障である。佐藤や指導者たちが大きな選択に直面したのは、この時期だった。
生方は自分を責めるように「本当に申し訳ない」と繰り返し、表情を歪ませる。
「龍月と同じ気持ちでやっていた、といったら変ですけど……自分もすごく苦しかったし、悲しかったし、落ち込みました。メディカルチェックを受けさせたり、パフォーマンスコーチやトレーナーとも話し合ったりしながらいろいろ細かくやってきたんですけど、蓄積されたものがあったんでしょう。そうさせてしまった責任というのは感じています」

