- #1
- #2
野球クロスロードBACK NUMBER
「高校野球が全てじゃない」ドラ3左腕はなぜ高校生でトミー・ジョン手術を決断できた? ウラ側にあった指導者の想い「自分のような選手は出したくない」
text by

田口元義Genki Taguchi
photograph byTakuya Sugiyama
posted2025/11/11 06:02
健大高崎の生方啓介部長は自身も現役時代に大きなケガに苦しんだ。その経験が佐藤龍月のトミー・ジョン手術決断に大きな影響をあたえていた
それは、シンプルでありながら、これ以上ないサポートだった。
「焦るな」
大きなところでは、生方はこれだけを佐藤に説き続けてきたのだという。
ADVERTISEMENT
ひじの手術後のリハビリは実に地味である。しばらくはボールを握ることすら許されず、ようやくキャッチボールを始められたとしても1球、数メートル単位でリハビリメニューを管理される。まともに野球ができない。ましてや、佐藤の世代の健大高崎は「歴代最強の投手王国」とも称される分、なおさら焦りが募るのが明らかだったからだ。
「プロに行くために手術をしたんだから…」
佐藤との2枚看板のひとりだった石垣は、球速を150キロ台中盤から後半にまで伸ばし、「ドラ1位候補」と騒がれるまで成長を遂げている。自分と同じ左腕である下重賢慎も鮮烈な台頭を果たす。今年の春には打席に立てるまでに状態が回復し、センバツではベンチ入りできたが、ベスト4進出の立役者はまぎれもなく石垣と下重のふたりだった。
自分が投げていなくても、チームは勝てる。現実は焦燥感を煽り立てる。そういった前のめりの気持ちを、生方は素早く察知して佐藤を諭していたのである。
「センバツでも打つほうで復帰できましたし、驚異的なスピードで治ってはいたんです。だから、彼の気持ちはわかりながらも『プロに行くために手術をしたんだから、焦るな!』と、私としては絶対に手綱を緩ませないというか、龍月にもブレーキを踏ませていました」
我慢のリハビリ生活が実を結ぶ。
手術から1年も満たない6月に実戦登板を果たし、球速は自己最速を更新する147キロに到達した。そして、夏は甲子園のマウンドに立つまでに回復を遂げたのである。
3年生としての実績は、ほぼない。だが、プロのスカウトたちが評価する将来性を通して佐藤のプロ入りへの公算が立ちつつあったという。それは、手術をしたからこそ得られたものでもあった。
「龍月を見に来てくれたスカウトの方たちが、言ってくださったんです。『ここから靱帯が体に馴染んでいけば、どんどん良くなる。これからのピッチャーです』と。ドラフトって絶対はないから不安は不安でしたけど、これまでやってきたことと今の体の状態から龍月も手応えはあっただろうし、私も『間違いなくかかる』という自信はありました」

