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野球クロスロードBACK NUMBER
「高校野球が全てじゃない」ドラ3左腕はなぜ高校生でトミー・ジョン手術を決断できた? ウラ側にあった指導者の想い「自分のような選手は出したくない」
text by

田口元義Genki Taguchi
photograph byTakuya Sugiyama
posted2025/11/11 06:02
健大高崎の生方啓介部長は自身も現役時代に大きなケガに苦しんだ。その経験が佐藤龍月のトミー・ジョン手術決断に大きな影響をあたえていた
そして、佐藤はオリックスから3位で指名され、プロへの扉を開き、涙した。
「龍月のピッチングとやってきたことが評価されて本当に嬉しかったですね」
生方にとっては、自責の念から始まったドラフトまでの一本道だった。それでも、これが生方の経験値をさらに熟成させたのも事実である。
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――佐藤龍月選手が指名されたことで、自責の念は払しょくできたか?
生方にそうぶつけると、「そういう感じにはもちろんならないですけど」とやんわりと否定し、自身と向き合っていた。
「トミー・ジョン手術をしてから龍月本人の意思を聞きながらサポートできたことで、選手への意識がより強くなったこと。野球そのものも含めて体のケアの方法とかいろんな知識が増えたことも、大きな財産になったと思います。でもまあ、これで龍月がドラフトにかからなかったら、『申し訳ない』って気持ちだけで終わっていたと思うんですけどね」
オリックスと生方部長の「不思議な縁」
運命は必然を伴い、佐藤をオリックスへと導く。そこには、思いがけない縁があった。
オリックスの監督である岸田護は、東北福祉大で生方とチームメートだった。大学時代に故障し選手生命に区切りをつけた男が、指導者として手術をした教え子とともに歩み、プロへと送り出す――そこに対する感慨は、否応なしに生方の心を温かくする。
「大学で一緒にやってきた岸田監督に自分の教え子を預けられるというか、バトンを託せるのもひとつの縁ですしね。一応、彼にはLINEしましたよ。『いい縁をありがとう。よろしくお願いします』みたいに」
生方には、健大高崎の品格を携えし左腕の未来が、明確なビジョンとして浮かんでいる。
目指してほしいのは、あのエース左腕だ。
「宮城(大弥)選手の後を追うようなピッチャーになってほしいですし、その素質は十分にあると思っています」
夢は、さらに広がる。
ロッテに1位指名された石垣とともに、いずれは――生方は「気が早いですが」と恐縮しつつ、こういって願望を口にするのである。
「ふたりとも世界で活躍できるピッチャーになってほしいし、そうなれると自分は信じていますんで」

