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「昔は走り方がどんくさくて…」阪神ドラ1立石正広の姉が語る“バレーボール一家”の末っ子がプロ野球選手になるまで「ドラフト前夜に届いたLINE」 

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田中夕子

田中夕子Yuko Tanaka

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photograph byYuka Tateishi

posted2025/11/05 11:02

「昔は走り方がどんくさくて…」阪神ドラ1立石正広の姉が語る“バレーボール一家”の末っ子がプロ野球選手になるまで「ドラフト前夜に届いたLINE」<Number Web> photograph by Yuka Tateishi

歳の離れた二人の姉に可愛がられて育ったという立石正広(一番下)。家族もドラフト指名を喜んだ

 山口県出身の立石正広は3姉弟の末っ子長男。長女の沙樹は8歳上、次女の優華は6歳上。歳の離れた2人の姉はともに現役バレーボール選手で、沙樹はVリーグ・リガーレ仙台でアウトサイドヒッター、優華はSVリーグ・クインシーズ刈谷で活躍するリベロだ。姉だけでなく両親も元バレーボール選手で、母の郁代さんにいたってはバルセロナ五輪に出場した名選手だった。

 バレーボール一家に育った正広の存在は、姉たちからすれば大人になった今も「いつまでたってもかわいい弟」のまま。関係性はそう大きくは変わっていない。

「昔はどんくさい走り方してたので、今『脚が速い』と言われているのが信じられないんです。ドタドタ走るから『前進んでないじゃん』ってからかっていたぐらいなので、俊足と言われるたび、ほんとに?って毎回思ってます(笑)」

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 バレーボール名門・誠英高校に入学した優華は寮に入ったことで小学生の正広とも離れて暮らしていた。長打を武器とするパワーヒッターでありながら、50m走6秒07の俊足はプロ野球のスカウトに高く評価されているが、当時の記憶が色濃く残る姉からすれば弟の成長は「いまだに信じられない」と笑う。

庭にできていたバッティングケージ

 そんな優華が弟の野球への真剣な思いを知ったのは正広が高川学園高校に入学した頃だった。青山学院大に進学していた優華が実家に帰省すると、自宅の庭に見慣れぬ手製のバッティングケージができていた。夜になっても練習できるようにと電光を備え付けられた練習場で、弟は黙々と素振りとティーバッティングを繰り返していた。

「『野球選手になりたい』と言ってはいたんです。でも、野球をやっている子って誰もがプロ野球選手になりたいって言うじゃないですか。それぐらいの気持ちだろうなと思っていたんですけど、一人で練習している姿を見て『本気だったんだ』とびっくりしました」

 歳も離れ、別々に暮らした時間も長かったせいか、今も昔もケンカした記憶はほとんどない。姉弟だけのグループLINEでエールを送り合うのが立石家の日常だ。

「頑張ってね」
「今日の試合はどうだった?」

 時間があれば互いの観戦にも足を運ぶ。正広は優華の試合に「シーズンで1~2回は観に来ている」という。「何で試合に出てないのよ」とからかいながらも、プレーに関して言及されたことは一回もない。

 姉たちも創価大学の中心選手として活躍する弟の姿を観るために何度も球場へ足を運んできたが、優華には忘れられない試合がある。

【次ページ】 「負けて泣いている姿を初めて見た」

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