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「夜中のデニーズ…泣きながら車を運転して」名将に重宝される男子バレーの頭脳・伊藤健士コーチ44歳“異色の履歴書”「父は札幌五輪で…」 

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米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

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photograph byOSAKA BLUTEON

posted2025/10/31 17:04

「夜中のデニーズ…泣きながら車を運転して」名将に重宝される男子バレーの頭脳・伊藤健士コーチ44歳“異色の履歴書”「父は札幌五輪で…」<Number Web> photograph by OSAKA BLUTEON

バレーボール男子日本代表・伊藤健士コーチ(44歳)。所属元の大阪ブルテオンでは今季から就任したトーマス・サムエルボ監督を支えている

「夜、練習が終わると1人でデニーズに行って、その日の練習を見直し、次の日の練習を考えてから帰るんですけど、毎日夜中の2時過ぎになるんです。それがあまりにも大変で……。僕は親父にもらった札幌ナンバーの車に乗っていたんですけど、あまりにつらくて、夜中に涙を流しながら運転して帰っていたら、警察に止められました。泣いていたから、『酔っ払ってんのか?』と疑われて(笑)。そういう時期もありましたね。でも強制されてやっていたわけじゃないし、20代にそういうことをやっていたのが糧になって、今にすごく生きています」

海外を転々としていた父の姿

 バレーに関しては手を抜けず、徹底的に突き詰める性分。それは父の影響も大きい。

 伊藤の父・龍治さんはもともとアルペンスキーの選手として五輪を目指していたが、怪我で選手を断念。指導者に転身し、ナショナルチームのコーチを務めた。ジャンプチームのスキー板にワックスを塗るワックスマンも任されたことがあり、日本ジャンプ陣が表彰台を独占した1972年の札幌五輪でもワックスマンを務めていたという。

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「だから親父はオリンピックでメダルを獲ってるんですよ(笑)。僕も今、同じような仕事をしているわけで。親父はチームに帯同して海外を転々としていたので、僕が小さい頃はほとんど家にいませんでした。そういう家庭で育って、スポーツの世界は現場が第一優先、という教育を受けてきました。『俺が死んでも、試合があったらそっちに行け』というタイプですから。親父の影響は大きいですね」

 2014年に日本代表からアナリストとして声がかかった時は迷いなく応じた。

「日本代表なんて憧れの憧れでしたから。それならもう責任を持ってやりますということで、東レを退社しました」

【次ページ】 想像以上に過酷だった日本代表の仕事

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