バレーボールPRESSBACK NUMBER

「夜中のデニーズ…泣きながら車を運転して」名将に重宝される男子バレーの頭脳・伊藤健士コーチ44歳“異色の履歴書”「父は札幌五輪で…」

posted2025/10/31 17:04

 
「夜中のデニーズ…泣きながら車を運転して」名将に重宝される男子バレーの頭脳・伊藤健士コーチ44歳“異色の履歴書”「父は札幌五輪で…」<Number Web> photograph by OSAKA BLUTEON

バレーボール男子日本代表・伊藤健士コーチ(44歳)。所属元の大阪ブルテオンでは今季から就任したトーマス・サムエルボ監督を支えている

text by

米虫紀子

米虫紀子Noriko Yonemushi

PROFILE

photograph by

OSAKA BLUTEON

フィリップ・ブラン、ロラン・ティリ、トーマス・サムエルボ……実績ある外国人監督はなぜ伊藤健士を重宝するのか。男子バレー界を支える右腕の素顔に迫る。〈NumberWebインタビュー全3回の3回目/第1回第2回も公開中〉

 日本代表と大阪ブルテオンでコーチを務める伊藤健士は、代表に関わり始めて12年目を迎えた。

 2014年の南部正司監督就任時に代表のアナリストとなり、2022年からはコーチとして、フィリップ・ブラン、ロラン・ティリ両監督の右腕として代表チームを支えてきた。

「しぶといですよね。ゴキブリのように1人だけ生き残って」

ADVERTISEMENT

 本人はそう笑うが、有能なだけでなく、バレーに対して熱く、向上心旺盛な参謀を指揮官が手放すわけがない。

“消去法”から始まったコーチ業の道

 トップカテゴリーで監督やコーチを務める日本人は、元Vリーガーがほとんどだが、伊藤はそうではない。この道に進み始めたきっかけは実は“消去法”だった。

 伊藤は代表選手を数多く輩出してきた筑波大学バレーボール部のミドルブロッカーだったが、推薦入学ではなく、一般入試での入学だった。

「僕の代は多くがやめてしまって、2年の時には一般部員が2人だけになっていました。筑波は一般部員がマネージャー(主務)とアナリストをやることになっていて、もう1人がマネージャーをやると言ったので、僕がアナリストに。きっかけはそんなしょうもないことなんです(笑)。当時はアナリストというものも知らなくて、データ班と呼んでいました」

 だが当時、筑波大でコーチを務めていた東レアローズ(現東レアローズ静岡)出身の秋山央(現筑波大監督)に能力を買われ、大学在学中から東レのアナリストを手伝うことに。大学卒業後は大学院に進み、コーチ学を専攻した。

「アナリストというより、コーチがやりたかったんです。ボールを打ったり、練習を考えたり回したりというのが好きなので」

 だから大学院卒業後はアナリスト兼コーチとして東レに入団した。ただ、アナリスト兼コーチは想像以上に過酷だった。一時は現場のコーチングスタッフが監督と伊藤の2人だけというシーズンもあったという。

【次ページ】 「練習が終わると1人でデニーズに行って…」

1 2 3 4 NEXT
#伊藤健士
#大阪ブルテオン
#東レアローズ静岡
#筑波大学
#ロラン・ティリ
#フィリップ・ブラン
#南部正司
#中垣内祐一
#トーマス・サムエルボ

バレーボールの前後の記事

ページトップ