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阪神“あの天才左腕”は今、JAに勤務していた…じつは甲子園球場で流れる“お茶の紹介”仕掛け人に「荒茶の生産量、静岡は鹿児島に抜かれた…」
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岡野誠Makoto Okano
photograph byNumberWeb
posted2025/11/01 11:02
かつて阪神で活躍した田村勤さん
「球児は、自分の失敗や力のなさを潔く認めた上で、真面目に努力を続けていた。だから、上に行ったと思います。いくら素質があっても、野球に取り組む姿勢が欠けていれば、活躍はできませんから」
阪神監督になった藤川球児との再会
田村が「球児!」と声を掛けると、指揮官は「お久しぶりです」と微笑んだ。現在も藤枝明誠高でコーチを務める田村が「高校生が球速くするには、どうしたらいい?」と聞くと、球児は「毎日ブルペンで投げていたら、だんだん見えてきますよね」と答えた。
「僕を球児と一緒にしたら、おこがましいと思うんですけど、学生時代から毎日何百球も投げて、プロになってもブルペンで投げ続けて、ようやく見えてくるものってあるんですよ。何万球も投げた末に、変化球やフォームのコツがわかる。ああ、球児もそう考えているんだって」
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現在の高校野球では球数制限が設けられ、ブルペンでの過度な投げ込みも推奨されない。ヒジと肩を痛め、プロでほとんど満足に投げられなかった左腕はどんな指導をしているのか。
「投げ込みに代用できる練習をしています。シャドーピッチングもそうですし、バッティングでも下半身や体重移動を意識すれば、ピッチングにつながる。キャッチボールの回数も増やして、軽く投げながら感覚を養わせています。あとは、野球に対する心構えを説いています。妥協せず、自分に向き合う姿勢を身に付けてほしい。そうすれば、どんな仕事に就いてもやっていけますから」
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「伝説的左腕」田村勤の今
原辰徳を、松井秀喜を鋭い内角直球で三振に斬る。あのカタルシスを知る阪神ファンは、今もどこかで背番号36を思い出すだろう。田村は凄かったと。
“消えた天才”は時代に翻弄された。投げ込みが奨励されていた平成初期でなければ、もっと輝いていたに違いない。しかし、背番号36はあくまで体の使い方やケアの勉強を怠った自らの過ちと捉えている。
「時代が違えば……」。そんな恨み節をひとつも残さなかった田村に、阪神時代の姿が重なった。鮮やかなストレートを放り、颯爽とベンチへ向かって走る、あの姿が。

