熱狂とカオス!魅惑の南米直送便BACK NUMBER
「日本で初めて雪を見たよ」“今はポッチャリ”元ブラジル人名FW43歳「活躍できなければクビ」から新潟移籍→“J1で111ゴール”を決めるまで
posted2025/10/26 11:01
アルビレックス新潟時代、20代前半だったころのエジミウソン。引退してブラジルに帰った今はどうなっている?
text by

沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
J.LEAGUE
「日本で9年間プレーして、とても素晴らしい日々を過ごさせてもらった。ニイガタとウラワ? どちらにも同じくらいの愛着があるよ」
「来年、長女と一緒に日本へ旅行に行くんだ。友人と会うのがとても楽しみだ」
エジミウソン・ドス・サントス・シルバ。9月で43歳になった。
ADVERTISEMENT
現役時代と比べて顔が丸くなり、体もぽっちゃりとしていた。現在は、サンパウロ市内の住宅街にある高級マンションに住む。
アルビレックス新潟と浦和レッズ在籍時、計7シーズンで10得点超え。その後FC東京、セレッソ大阪でもプレーした。J1で111得点は歴代11位(外国人では4位)。公式戦通算302試合139得点をあげた名ストライカーに、日本への率直な印象や現役当時の裏話、今の暮らしぶりについて聞いた〈NumberWebインタビュー全3回/第2回に続く〉。
ビスマルク、ベベット、エジムンドに憧れた
――どのような子供時代を過ごしたのですか?
「一人っ子で、父は警察官、母親はレストランでコックとして働いていた。でも、決して裕福な家庭ではなかった。父親がフットボールが大好きで、ボールの蹴り方を教えてくれた。5歳の頃から、路上で近所の子供たちと裸足でボールを追いかけた。誕生日のプレゼントはいつもボールだった(笑)」
――憧れの選手は?
「当時、バスコダガマでプレーしていたビスマルク、ベベット、エジムンドらのプレーに熱狂した。10代でクルゼイロで頭角を現わし、やがて欧州へ渡ったロナウドにも憧れた。母親からは、『しっかり勉強して、安定した仕事につきなさい』と言われたけれど、父親は『勉強もフットボールも、どちらも頑張ればいい』と言ってくれた」
――本格的にフットボールの指導を受け始めたのは?
「1995年、12歳で地元のアマチュアクラブのU-13に入って練習を積んだ。1998年末、サンパウロ州内で行なわれたトーナメントに出場し、そこでのプレーが評価されて1999年初め、16歳でパルメイラス(サンパウロの強豪)のU-17に加わった」
16歳で親元を離れ…経済的にも苦しかった
――サルバドールとサンパウロは約1500km離れており、気候、食事、文化が大きく異なります。
「サルバドールは常夏で、寒い時期なんてない。サンパウロも亜熱帯の気候だけど、冬はかなり冷える。冬着を全く持っていなかったから、少しずつ買い足した。パルメイラスのトレーニングセンターの中にあった選手寮に住み、毎日、歩いて30分くらいかけてスタジアムへ行って、その中の食堂でご飯を食べた」
――16歳で親元を離れ、遠い町で暮らすのは大変だったのでは?


