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箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
「本当は泣きじゃくってわあわあ言いたいけど…」出雲駅伝“まさかの7位”青学大…失意の“最強世代の旗手”がこぼした本音「泣くのは勝つまで我慢」
text by

和田悟志Satoshi Wada
photograph bySatoshi Wada
posted2025/10/17 11:06
出雲駅伝でエース級が集う2区を任されたものの区間10位に終わった折田壮太。高校時代は世代No.1ランナーだった輝きを取り戻せるか
だが、折田がここで涙を見せることはなかった。
「チームに迷惑をかけた分、どこかで“折田で勝った駅伝”を作らないといけない。泣くのは勝つまで我慢して、また次の目標に向けて頑張るしかない。ここでチームからの信頼がなくなった分、一つ一つの練習の中で“折田はやれるぞ”って思ってもらえるように、また一から頑張りたいなって今は思います」
そう固く誓っていた。
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思い返せば、高校生の時も下級生の頃は苦しいことが多かった。
中学時代に野球部だった折田は、各部活動からの寄せ集めで出場した地元の駅伝で襷をつなぐことの楽しさを知った。そして、強豪の須磨学園高に進み、毎朝5時半に起きて、淡路島から高速船を乗り継ぐなどして約2時間かけて通学する日々を送った。
しかし、1、2年時はなかなか結果が出なかった。2年時は疲労骨折や腰椎分離症といったケガが重なり、貧血にも苦しんだ。縦隔気腫(※気管支が破れる病気)にかかったこともあった。高2の秋に5000m13分台をマークしブレイクの足がかりを作ったが、それまでは14分台どころか、15分も16分もかかったレースもあった。
そんな苦悩の日々を乗り越えた先に、高3時のあの活躍があった。
高校時代も実は晩成…大学でも再び輝けるか
大学生になってからも試練が続いているが、高校時代がそうだったように、まだまだ挽回できるチャンスはあるはずだ。何より折田自身が諦めていない。
高3時に都大路で見せたように、今度は箱根路で衝撃の走りを見せてくれることを心待ちにしたい。

