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大相撲PRESSBACK NUMBER
昭和の大横綱・大鵬はなぜ理事長になれなかったのか?「角界の保守本流が…」元NHKアナに聞く“大鵬の美学”「最初の一言は『おかげさんで』なんです」
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杉山邦博+荒井太郎Kunihiro Sugiyama + Taro Arai
photograph byJIJI PRESS
posted2025/09/14 11:06
幕内最高優勝32回、絶大な人気を誇った昭和の大横綱・大鵬。94歳の杉山邦博氏が明かす、その人柄とは
柏戸さんはいかにも山形県庄内の、いい農家の子供さんだったんだなあという人柄で、ぶっきらぼうにものを言っているようで温かみがありましたね。柏戸さんともよく食事をしたし、飲みにも行きましたし、あの人は三橋美智也の『古城』しか歌いませんが、一緒にカラオケもしました。あの人は博多ではクラブのママに大変好かれましたけど、大鵬さんは老若男女から好かれて、まさに「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉にあるように、庶民に受けた人でした。柏戸さんはどちらかといえば、粋筋にモテましたよ。
そういう面でいうと“土俵の鬼”の若乃花もそうだったんだけど、北の湖さんの時代になると、そういう話がないんだよ(笑)。さっきも言ったようにサントリー角瓶を3本空けたとか、そういう話はあるんだけど、本当に不思議だね(笑)。
大相撲を語るとき、私は70年見てきて誰が一番強かったですかと聞かれると、双葉山は別格として一に大鵬、二に北の湖って言うんだけど、やっぱり大鵬さんには攻めと守りがあったし、相撲に深みがありましたよね。奥深さがありました。
大鵬はなぜ理事長になれなかったのか?
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荒井 前人未到の優勝32回という大記録を残した大横綱の大鵬さんですが、引退後は大病もされまして、停年で協会を離れるまで、ついに理事長職に就くことはありませんでした。
杉山 確かに大鵬さんは理事長になってもおかしくなかったと思うのですが、やはり角界の保守本流である出羽一門の勢力が、依然として非常に強かったということでしょう。一方、独立を奨励しながら勢力を拡大していった二所一門ですが、主導権を握るというところまではいってない。一例を出すと、引退した栃錦さんが年寄春日野としてすぐ協会の理事、大幹部になりましたが、同じ優勝10回を誇る二所一門の若乃花はなかなか理事にはなれなくて、それより先に安念山の立浪のほうが先に理事になったくらいですから。つまり二所一門というのは、そういう立場なんですね。

