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「戦力外もよぎった…こうして終わるんだ」“阪神あの逆指名ドラ1”の運命を変えた、タイガース退団の真相「今だから言える」藤田太陽の苦労人生
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byNumberWeb
posted2025/08/30 11:03
現在はロキテクノ富山の監督を務める藤田太陽氏
「阪神での時間は決していい思い出ではなかったけれど、あの苦労は自分の人生にとって必要だったし、一番多くのことを学べた時間だったと思います」
ロキテクノ富山で社会人野球の監督を務める今、藤田さんはそう振り返る。野村克也、星野仙一、岡田彰布……。個性的な名将のもとで野球を学び、自分と向き合って苦しみ抜いた。当時はプレッシャーに感じていた阪神ファンの大歓声も、今はただ懐かしく、ありがたみを感じる。
「当時は関西のどこへ行っても声をかけられるし、飲みに行ったり買い物をしても『お支払いは結構です』、『頑張ってや』と言われることも結構ありました。やっぱり関西は阪神タイガース中心の街なんですよ。あの頃はそれも一つの重圧に感じていましたが、今になってみればその愛情深さを感じる。
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今も関西に行くと阪神ファンのおっちゃんに『あん時は応援しとったんやで』と声をかけられたりするんです。苦しんだことも含めて、最初に阪神で歩み出して色々な経験をしたからこそ、今こうやって生かされているなという思いはあります」
「阪神ドラ1という“見えない十字架”を背負って」
右肘にメスを入れた2003年、当時二軍のコーチだった葛西稔さんに言われた言葉が印象に残っている。
「阪神のドラフト1位にしか分からない“見えない十字架”を背負って野球をやり続けるんだ。伝統あるチームでお前は今そうやって腐ったり、腹立ったり、もがいているけれど、絶対にいつか日の目を見ると思って毎日謙虚にやれよ」
同じ東北出身の葛西さんもやはりドラフト1位右腕。現役時代は故障に泣かされ続けた苦労人だった。
「“見えない十字架”って本当にその通りだなと心に刺さって、あの言葉は忘れられないです。あの時苦しみ抜いた経験は今、指導者として大きな糧になっている。何でも簡単にこなせていたら、自分の引き出しは多くなかったなとも思う。そういう意味では、いい勉強になりました。それも今だから、言える言葉ですけどね(笑)」
逆指名での阪神入りを決めたあの秋から、四半世紀。ドラ1右腕は“見えない十字架”を誇りに変えて、今も戦い続けている。

