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将棋界“じつは大問題”棋士番号から消えた20人「1955~77年に死去…なぜか除外」繰り上がり元A級棋士がベテランに聞いた「勝手な変更が」
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田丸昇Noboru Tamaru
photograph byNanae Suzuki
posted2025/08/30 06:00
将棋界ではそれぞれの棋士が「棋士番号」を持つ。しかしそこから除外された20人がいるのだという
これらの棋士たちは大正から昭和時代の棋界で、それぞれに足跡を残した先達や功労者だった。
何人かの棋歴を紹介する。
京須行男八段は森内俊之九段の祖父に当たる。藤内金吾八段は内藤國雄九段、谷川浩司九段らを擁する一門の統領だった。山田道美九段は全盛期の大山名人と激闘を繰り広げ、棋士同士の「研究会」を開いた草分けとして、学究的精神は現代に受け継がれている。福井資明九段は北海道棋界の発展に寄与した。建部和歌夫八段は将棋史や将棋文化の造詣に深かった。
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現在の棋士番号には、明治から大正時代から昭和初期にかけて活躍した関根金次郎十三世名人、阪田三吉(贈名人・王将)らの大棋士は入っていない。ただ『将棋年鑑』の棋士系統図には掲載されている。それは20人の棋士も同様だが、旧棋士番号に入っていたのに、1977年4月の時点で除外されたことに、私は前述のような立派な棋士がいたので大きな疑問を持った。
ベテラン棋士いわく「ある役員が勝手に…」
私は2008年の秋、将棋連盟の理事会と関東の棋士との会合に出席。本稿で述べた現行の棋士番号の問題点を指摘し、新たな番号制定を提案した。ただ同席した棋士たちの反応はあまりなかった。事情がわかりにくいうえに、新番号によって現在の番号が変わることに抵抗感もあったようだ。連盟会長の米長永世棋聖は困惑した様子だった。実際に新番号の制定は大変な作業である。諸課題に取り組んでいる現状で、重要度は低いと見たようだ。
結局、棋士番号の問題は立ち消えとなり、私も以降の会合で取り上げることはなかった。
それにしても、1977年4月に棋士番号はなぜ変わったのだろうか。当時の事情を知る、あるベテラン棋士に尋ねたところ、次のように語った。
「棋士番号は本来、永久的なものだと思います。ところが、ある役員が勝手に変更したんです。会員の多くが反対しましたが……」
新バッジ配布が物故棋士除外の理由なら本末転倒
さらに調べてみると、連盟が77年に発行した刊行物に新棋士番号が発表され、金色の通し番号付きの「棋士バッジ」が載っていた。
私は棋士としての誇りもあって、当初は襟に付けたものだ。ただ金色の縁取り(写真では薄れている)なので、「〇〇組」に間違えられたという話も聞いた。現在も新四段に金色のバッジが渡されているが、身につけている棋士は少ないようだ。
1977年の棋士番号の変更では、棋士への新バッジ配付が背景にあった。


