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甲子園の風BACK NUMBER
「街は過疎化」「ファンも落ち込んでしまって」甲子園に20年行けていない“黒潮打線”銚子商高はそれでも「私学とは違うやり方で甲子園目指す」
text by

内田勝治Katsuharu Uchida
photograph byKatsuharu Uchida
posted2025/08/22 11:03
1974年の銚子商高全国制覇の記念碑と、OBの澤田洋一・現監督。公立校の現状は厳しいが、名門復活への意気込みを語った
「私もそうでしたが、小さい頃の印象はいまだに頭の中に残っています。銚子商のグラウンドで高校生から教えてもらったということは非常に大きな経験だと思うんです。今はたまたまウチがやっていますが、今後は市立銚子さんや県立銚子さんとも手を取り合って、地元の子供たちに、銚子の高校野球はこういうチームがあるんだよ、みんなで頑張ろうぜ、ということを伝えていきたいです」
教え子である2005年夏の甲子園メンバーも積極的に動いている。当時主将の佐藤恭亮が今春から市内唯一の中学硬式野球チーム「銚子ボーイズ」を設立。エースの遠藤晃は外部コーチとして母校の再建に携わっている。
私学とは違うやり方で甲子園を目指す
1965年夏の準優勝メンバーで、野球部後援会長の阿天坊俊明は「今は私立に行く選手も多いけど、甲子園とはこういう場所だという部分をしっかりと分からせて、練習をさせる環境を整えるのが我々の仕事です」とさらなるバックアップを約束。澤田もその思いに呼応する。
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「ウチは私学とはやり方が違います。まずは公立の代表となれるチームにして、戦っていかなければなりません。甲子園からは20年遠ざかっていますが、目標を変えることはありません。銚子商の伝統にプラスして、情報化への取り組みも明確にして、子供たちにしっかり伝えることができれば、十分戦えると思っています」
甲子園に出場することは「CHOSHO」の使命。黒潮打線が復活するということには、銚子全体の潮目を変えるほどの勢いがあるのだから——。
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