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「荒れ果てたグラウンド、部員は蝉を眺めていて」甲子園から20年遠ざかる“九州の名門”の凋落…OB監督は驚愕「今までの大人は何をしよったのか」

posted2025/08/13 17:00

 
「荒れ果てたグラウンド、部員は蝉を眺めていて」甲子園から20年遠ざかる“九州の名門”の凋落…OB監督は驚愕「今までの大人は何をしよったのか」<Number Web> photograph by Katsuharu Uchida

2012年に指揮官に就任してから、古豪・柳川高の立て直しに力を注いでいる御所監督

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Katsuharu Uchida

春夏通算16回甲子園に出場し、多くのプロ選手を輩出した福岡の名門、柳川高校。しかしこの20年大舞台から遠ざかる。古豪復活を目指すOB監督の奮闘ぶりを短縮版でお届けする。

 2012年、現在の御所(ごしょ)豊治(とよはる)監督が33年ぶりにコーチとして母校・柳川高校野球部へ戻ったとき、彼を待っていたのは想像を超える光景だった。コーチ就任の挨拶中、部員たちは蝉を眺めたり、隣とおしゃべりをして誰も話を聞いていない。昼間の1時という時間帯もあって「最初は熱中症かと思った」と苦笑するが、ブルペンには膝丈まで草が生い茂り、グラウンドも荒れ果てていた。かつて春夏16回の甲子園出場を誇った名門の面影は、そこにはなかった。

それじゃあ100年経っても強くならんよ

「今までの大人が何をしよったのか」と自らもOBとして責任を感じた御所監督は、真弓明信、中島輝士といったプロも輩出してきた、歴代の先輩たちが築いた歴史を語り、まずナインに謝罪することから再建を始めた。部員の不祥事や監督交代が続いたことで、2005年夏を最後に甲子園から遠ざかり、柳川は低迷の一途をたどっていた。

 毎年部員が入れ替わる高校野球の世界で、強さを維持し続けることの難しさを痛感しながらも、御所監督は「さっきまでの態度を取っとったら、100年経っても強くならんよ」と厳しくも温かい言葉で選手たちに意識改革を促した。

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 御所監督自身も、名将・福田精一監督のもとで「目標は甲子園出場、目的は人間形成」という教えを受けてきた。神宮大会での優勝や台湾遠征であの郭泰源と対戦するなど、数々の貴重な経験を積み重ねてきたが、福田監督の柔軟な指導と人間教育があったからこそ、今の自分があると語る。「子供はダイヤの原石。卒業までに磨かないと石ころになる」との思いを胸に、選手たちには「夢だけは絶対に捨てたらいかん」と繰り返し伝えている。

 再び柳川のユニホームに袖を通し、選手たちと向き合う日々を送る御所監督。名門復活への道のりは決して平坦ではないが、彼の熱意とナインの成長が、やがて新たな物語を紡ぎ出すことになるはずだ——。

 OB監督の苦闘と思い出は、本編でさらに深く語られている。

〈つづく〉

 この記事の本編は、以下のリンクからお読みいただけます。

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#御所豊治

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