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「藤井聡太は5期でA級だが」名人経験者でも昇級に苦しみ…順位戦の“シビアな世界”「単年の不調では死活問題」だからこそできた降級点制度 

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田丸昇

田丸昇Noboru Tamaru

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photograph byKeiji Ishikawa

posted2025/08/14 11:00

「藤井聡太は5期でA級だが」名人経験者でも昇級に苦しみ…順位戦の“シビアな世界”「単年の不調では死活問題」だからこそできた降級点制度<Number Web> photograph by Keiji Ishikawa

2023年、名人獲得時の藤井聡太七冠。順位戦は5期でA級に到達した

 終戦で価値観が変わって民主主義が台頭し、棋士たちの考えも改まったのだろう。この順位戦制度は将棋ファンに大いに評価され、現代の将棋界の発展につながっていると思う。

 第7期順位戦からは、現行のようにA級、B級1組、B級2組、C級1組、C級2組と5クラスに分けられた。A級(10人)以外のクラスは定員13人で、それによって昇級・降級枠が決まった。後年に設けられた降級点制度はなく、単年度の成績不良で降級した。

 第9期まではC級2組からの降級者はいなかった。当時の将棋連盟理事会は、仲間の棋士を引退・廃業に追い込むようなことはしのびない、と判断したのだろう。しかし財政上の事情によって、第10期では4人が降級した。そのうち3人が引退し、1人は三段が入る予備クラスに編入された。第13期では棋士1年目の新四段が6勝8敗で降級する憂き目にあった。

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 各クラスの定員制を保つために、昇級・降級で入れ替えることは、本来の順位戦制度の大本といえる。ただ棋士にとって、単年度の成績不良による降級はつらいものがある。特にC級2組では死活問題となる。そうした深刻な事情もあって、第17期からはB級2組以下のクラスに、成績不良者に該当する現行の「降級点」制度が設けられた。それが累積2回にならなければ降級を免れた(C級2組は後年に累積3回)。

加藤一二三に谷川、羽生…大棋士の連続昇級歴は

 順位戦制度には降級という陰の面がある一方、昇級を重ねていけば最上級に至る光の面もある。順位戦で連続昇級するなどで躍進した、かつての若手精鋭たちを紹介する。

★1958年:加藤一二三・八段(18)
 C級2組からA級まで4期連続で昇級した。18歳のA級棋士は現在でも最年少記録で、加藤は「神武以来の天才」と呼ばれた。60年には名人戦で大山名人に挑戦し、1勝4敗で敗退した。

★1970年:中原誠八段(22)
 C級2組からA級まで4期連続で昇級した。デビュー当時から「棋界の太陽」 と呼ばれて嘱望されていた。72年には名人戦で大山名人に挑戦し、4勝3敗で破って最年少記録(当時)の24歳で新名人に就いた。

★1982年:谷川浩司八段(19)
 5期目の順位戦でA級に昇級。83年には名人戦で加藤名人に挑戦し、4勝2敗で破って最年少記録(当時)の21歳2カ月で新名人に就いた。「名人位を1年間、預からせていただきます」と記者会見で語った。

★1993年:羽生善治棋聖(22)
 7期目の順位戦でA級に昇級。94年には名人戦で米長邦雄名人(50)に挑戦し、4勝2敗で破って23歳で新名人に就いた。「本局のような将棋が指せれば、それ(五冠を獲得して七冠制覇の可能性について)も夢ではないでしょう」と記者会見で語った。

藤井は5期でA級到達も…近年の名人経験者は?

 なお、1990年以降に名人を獲得した棋士たちのA級到達期数は以下のようになる。

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