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「正直、野球部が嫌いな校長もおったし…」高校野球“消えた名門”箕島高校…最後に甲子園に出た前監督の告白「箕島はこうして勝てなくなった」
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曹宇鉉Uhyon Cho
photograph byKYODO
posted2025/08/18 11:24
2013年、箕島を夏の甲子園出場へ導いた尾藤強・前監督(手前)。以来、箕島は甲子園に出場できていない
「やっぱりそう思う気持ちはあるけどね。現実をいろいろ考えると、無理やなって諦めてる部分もある。願望はあるけど、現実は厳しい。監督をやって、限度をある程度感じたんでね」
ただ、と強は続ける。
「さっきの話ならイオンが智弁で、八百屋が箕島やけど、ここの八百屋やったらこれだけは負けへんなっていうのをひとつでも見つけて、絶対に甲子園に行ったんねんとハッタリでも言えるようになったら……。奇跡が起きて、何年かに1回勝つこともあるんじゃないかって。そんなことを思いますね」
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取材を終えたあと、駅へと送ってもらう車中で「箕島は初めて?」と訊かれた。はい、と応じて、ほとんど無意識のうちにこう口走っていた。
「いいところですね。高校の人も、街の人もみんな親切でした」
「そうでしょ。海のにおいがして、みかん畑があって」
海のにおいがして、みかん畑がある街は、その魅力をたたえたまま静かに退潮の時を迎えていた。そこにはかつて日本で一番強い野球部があった。何もかもが歴史になろうとしていることが、やけに寂しく感じられた。
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