清原和博の名言
真芯です、ね。あそこまでのホームランは初めてだったんじゃないかな。
清原和博(高校野球)
今でも語り継がれる1985年夏の甲子園大会決勝、PL学園対宇部商。「配球というのは全くしませんでした。表現するなら『来た球を打つ』」としか考えていなかった清原は、4回のレフトへの本塁打に続き、6回にも真ん中高めに浮いた球をバックスクリーンに放り込む。「甲子園は清原のためにあるのか!」の名実況が生まれたシーンである。当時の映像を見ながらこう解説した現在の清原は、33年前の会心の当たりをどういう思いで見ていたのだろうか。
Number958号(2018/08/02)
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