Sports Graphic Number SpecialBACK NUMBER
[人物探訪]“トミー・ジョン”はどんな投手だったのか
posted2025/08/15 09:00
手術した左肘を冷やすトミー・ジョン(右)と、執刀したフランク・ジョーブ医師
text by

ブラッド・レフトンBrad Lefton
photograph by
Getty Images
メジャー26年で通算288勝を挙げた左腕のキャリアにおいて、もっとも歴史に残るであろう登板は意外にも勝敗がつかなかった。それは、打者たった13人との対戦で降板したからだ。
1974年7月17日、ドジャースタジアムでのエクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)戦。ドジャースの先発投手は、4対0とリードして順風満帆に3回表を迎えた。ヒットと四球で無死一、二塁のピンチを招き、次打者にはカウント1-1からアウトコースに沈む得意のシンカーで併殺を狙おうと考えた。すると、左手を強く捻ったとき「人生でもっとも奇妙に感じた」と後に振り返るほどの違和感があった。その投球はボールになった。左腕に痛みはなかったので、もう一度同じシンカーを投げた。しかし、またもストライクゾーンを大きく外れた。左腕が痺れていたため、ベンチに向かって「交代してくれ」と合図を出した。
この当時31歳の投手の本名は、トマス・エドワード・ジョン・ジュニア。彼が覚えた違和感は投手にとって珍しいものではなかったが、そこで彼が選んだ治療法は世界で初めてのものだった。その新たな治療法が、現代まで続く野球を大きく変えたことは間違いない。
その治療法は、肘の内側の損傷した靭帯に、正常な腱の一部を移植して再建するという手術だった。身体の違うところから摘出した腱を上腕骨と尺骨に開けた穴に通し、両端に適度な張力をかけた状態で固定した。その後、移植した腱は患部の周囲に定着し、損傷した靭帯の代わりとして機能するようになった。
こちらは雑誌『Number』の掲載記事です。
NumberWeb有料会員になると続きをお読みいただけます。
残り: 2787文字
NumberWeb有料会員(月額330円[税込])は、この記事だけでなく
NumberWeb内のすべての有料記事をお読みいただけます。
