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「ブルペンには草、グラウンドは荒れ果てて」甲子園春夏16回出場・九州の古豪はなぜ“消えた”のか「これじゃ、100年経っても強くならんよ」

posted2025/08/08 11:02

 
「ブルペンには草、グラウンドは荒れ果てて」甲子園春夏16回出場・九州の古豪はなぜ“消えた”のか「これじゃ、100年経っても強くならんよ」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1976年、夏の甲子園に出場した柳川高。末次秀樹(左)、久保康生(右)らを擁してPL学園と好勝負を演じた。久保は近鉄、阪神を経て現在「魔改造」を施す名投手コーチとして知られる

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内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

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かつて甲子園に春夏16回出場した福岡の名門、柳川。古くはかの江川卓との熱戦が名高く、多くのプロ選手も輩出してきた古豪だ。しかしこの20年ほどは甲子園に縁遠くなっている。名門はなぜ「消えた」のか。現地に、熱い思いを秘めたOB監督を訪ねた。〈全2回の1回目/つづきを読む

 福岡県の南部に位置する柳川市。国民的詩人である北原白秋を生んだこの街は、縦横無尽に走る全長約930キロに及ぶ掘割(ほりわり)を、どんこ舟で下る名物の「川下り」でも知られる水の都だ。江戸時代には柳川藩主立花家の城下町として栄え、「立花氏庭園」「戸島氏庭園」「水郷柳河」と、3件もの国指定名勝を抱える景勝の地でもある。

真弓明信らを輩出した名門

 その柳川市の中心に、高校野球ファンにはお馴染みの柳川高校がある。かつて九州屈指の難攻不落の城と謳われた柳川城跡に建てられた校舎敷地内にあるグラウンドから、これまで真弓明信(太平洋、阪神など)、久保康生(近鉄、阪神)、立花義家(西武、阪神など)、中島輝士(日ハム、近鉄)ら、数多の名選手が巣立っていった。

 現在、歴史と伝統ある野球部を率いるのは、64歳OBの御所(ごしょ)豊治(とよはる)監督だ。すでに始動している新チームの2年生以下に向け、「この秋に夏のチームを作るんやぞ!」と鼓舞激励。響き渡る蝉の大合唱を全身に浴びながら、練習が始まった。

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「今までのチームは、翌年の夏までに仕上げていました。秋、春と真剣じゃなかったわけですよ。新チームが始まるこの時期は、以前であれば体力作りや1000本ティーをさせていましたが、今年は走塁や守りの細かいミスをなくすために、ゲームを多くさせています」

甲子園で繰り広げた名勝負

 柳川は前身の柳川商時代を含め、これまで春8回、夏8回の甲子園出場を誇る。1973年夏、作新学院(栃木)の怪物・江川卓を揺さぶったバスター攻撃はあまりにも有名。2000年にはエースの香月良太(オリックス、巨人など)を擁し、春夏ともに8強入りを果たした。同年夏の準々決勝、智弁和歌山戦で延長11回、6対7と敗れはしたが、177球を投げ抜いた姿に心を打たれたファンも多いのではないだろうか。

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