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「ブルペンには草、グラウンドは荒れ果てて」甲子園春夏16回出場・九州の古豪はなぜ“消えた”のか「これじゃ、100年経っても強くならんよ」 

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内田勝治

内田勝治Katsuharu Uchida

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posted2025/08/08 11:02

「ブルペンには草、グラウンドは荒れ果てて」甲子園春夏16回出場・九州の古豪はなぜ“消えた”のか「これじゃ、100年経っても強くならんよ」<Number Web> photograph by JIJI PRESS

1976年、夏の甲子園に出場した柳川高。末次秀樹(左)、久保康生(右)らを擁してPL学園と好勝負を演じた。久保は近鉄、阪神を経て現在「魔改造」を施す名投手コーチとして知られる

 しかし、その名門校も2005年夏を最後に、聖地から20年間遠ざかっている。今夏の福岡大会は3回戦敗退と、往時の勢いはもうない。ただ、優勝候補の一角に挙げられた福岡大大濠を相手に、9回2点差を追いつくと、延長10回タイブレークを戦い5対6と、復活の足がかりをつかむことはできた。

「初戦を突破してから大濠戦までの3日間、朝9時15分からの試合開始時間に合わせるために6時からバッティングをやらせました。そのためには5時前には起きて準備をしなければなりません。相手投手の研究もしていたので、ある程度の自信はありました」

不祥事をきっかけに低迷が

 毎年部員の入れ替わりを繰り返す高校野球において、その強さを維持し続けるのは至難の業だ。さらに監督が交替すれば、それまでの指導方針や中学生のスカウト事情などに影響を及ぼす。2005年夏の甲子園後、部員の不祥事でOBの末次秀樹さん(現真颯館高監督)が監督を退いたことをきっかけに、チームは指揮官を定着させることができず、低迷の一途を辿っていった。

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 2012年。御所さんは、コーチとして33年ぶりに母校へ戻ってきたときの衝撃を昨日のことのように覚えている。

「部員の前でコーチ就任挨拶をした時です。片足重心で蝉を見たり、隣と話している選手もいて、誰も話を聞いていないんですよ。昼間の1時やったから、最初は熱中症かと思って心配しました(笑)」

甲子園出場からわずか7年で……

 ブルペンには膝丈まで草が生え、グラウンドも荒れ果てていた。最後の甲子園出場からわずか7年で、ここまでチームは衰退するのかと愕然とした。そこから、これまで歴代の先輩たちが築き上げてきた歴史を一通り説明した後、ナインに謝罪した。

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