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プロ野球PRESSBACK NUMBER
「阪神は当初、“おまけ”のつもりで獲得した」バースはなぜ“史上最強の助っ人”になれたのか?「アイツがひとりで考えたことなんよ」岡田彰布の証言
text by

内匠宏幸Hiroyuki Takumi
photograph byKYODO
posted2025/08/01 11:12
当初は「サブ要員」のような立場で阪神に入団したランディ・バース
「アイツがひとりで考えたことなんよ」岡田彰布の証言
なぜ、ここまでバースは日本野球に適合して結果を残せるようになったのか。それを裏付ける話を岡田に聞いた。「技術的なことを教えたことはないわ。ランディが研究し、観察し、工夫して、ひとりで考えた結果よ」。その最たるものが「スタンス」だった、と岡田は明かす。アメリカ時代のクローズドスタンスをオープンスタンスに変えていた。
「これは明らかに左投手対策。これによって強引さが消え、逆方向にもホームランが打て、率も残せるようになった。これは誰に指示されたものでなく、アイツがひとりで考えたことなんよ」
このシーズン、バースは三冠王に輝いたが、そのお陰で岡田は初のタイトルを逃がしている。
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シーズン残り3試合まで打率では岡田が上回っていた。残り2試合は巨人戦。監督の吉田義男は「まあ2人で正々堂々争ってくれ」としたが、バースはその時、すでに本塁打を54本打っていた。巨人は王貞治の55本塁打の記録を守るため、バースは“四球攻め”にあう(2試合で6四球)。対する岡田は力んで打てず、最終的には8厘差をつけられて2位に終わった。
バースが選手として絶頂を極めた1985年、阪神は21年ぶりのセ・リーグ優勝を果たし、さらに球団史上初の日本一を達成した。日本シリーズでもバースは打ちまくり、3本塁打、9打点、打率.368でMVPを獲得。だがこのわずか3年後、最強の助っ人と阪神は悲しい別離のときを迎えることになる。
<続く>

