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「父なら亀田家と、どう付き合ったのか」ボクシング名門ジムを解雇された“セガレ”の転落人生…アルコール依存症の再発「病室で大谷翔平を見て泣いた」
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栗田シメイShimei Kurita
photograph byShigeki Yamamoto
posted2025/08/04 11:02
多くの世界王者を輩出した協栄ボクシングジムを父から引き継いだ金平桂一郎(写真は2007年)
2019年、協栄ジムの実質的な経営者とトラブルとなり、クビを宣告される。すると、金平はジムの休会届を提出。結果的に会長職を失った。これは父が作り上げてきた名門の歴史を閉ざすことも意味した。
オーナーとのトラブルは訴訟沙汰にも発展。筆者は当時、訴訟に関して金平に取材を申し込んだのだが、新橋の高級ホテルのラウンジで待ち合わせた金平の姿を見たとき、「復帰は難しいだろう」と直感的に悟った。
呂律は回らず、明らかに日常生活を送れる状態ではなかったからだ。重度の鬱病も患っていた。当時の取材記事は、ついに発表する機会がなかった――。
アルコール依存症、睡眠導入剤も
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ジムだけではなく、住む場所も家庭も財産も名誉まで全て失った。アルコール依存症を再発し、精神安定剤や睡眠導入剤も同時に服用した。意識は常に朦朧とし、コロナ禍では入院生活を余儀なくされる。仕事を続けようとするも、長続きしない。係争も劣勢であった。ボクシング界でも金平に救いの手を差し伸べようとするものは現れなかった。
「俺はこのまま終わってしまうのか」
病室のベッドに固定されるなか、MLBの舞台で活躍する大谷翔平の試合を見て、思わず涙が溢れたという。
2022年7月にオーナーとの和解が成立。それから1週間と経たずして、登録外の電話番号からの着信が入った。声の主は距離を置いていた亀田家の三男、和毅だった。
「ボクシング人生の集大成として会長の力をお借りしたい。悔いを残したくないんです」
予期せぬ連絡は、大阪・西成での新ジム設立の打診であった。その場で約束をとりつけ、サシで会うことになる。
和毅からすれば、ライセンスを持つ金平の立場を、金平からすれば、和毅と共にボクシング界での返り咲きを狙う。過去のわだかまりよりも、懐かしさやボクシングへの両者の渇望が勝った。亀田家から離れる、という強い意志にも可能性を感じたと金平はいう。

