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「父なら亀田家と、どう付き合ったのか」ボクシング名門ジムを解雇された“セガレ”の転落人生…アルコール依存症の再発「病室で大谷翔平を見て泣いた」
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栗田シメイShimei Kurita
photograph byShigeki Yamamoto
posted2025/08/04 11:02
多くの世界王者を輩出した協栄ボクシングジムを父から引き継いだ金平桂一郎(写真は2007年)
しかし、その後も世間のバッシングは止まなかった。2008年7月に再び事件は起きる。
協栄ジム所属の坂田健史と内藤大助のダブル世界戦で亀田興毅がリングに上がり、内藤に対戦を要求したのだ。ボクサーとしての亀田家を守ろうとしていただけに、金平は不快感を隠そうとはしなかった。その一方で、ジムの会長として亀田家と心中するまでの気概が生じないのも、また事実だった。
亀田家が去ってからの協栄ジムは、その勢いが急速に陰っていく。以降10年間で世界王者を出したのはスーパーフライ級の佐藤洋太のみに留まっている。名門の凋落は、現実のものになりつつあった。金平自身も胃潰瘍を患っており、一度は断酒したものの、慢性的に体調は優れない。ジムの凋落と重なるように金平の心労は積み上がっていった。
興行もボクサー育成もビジネスも…
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この頃から金平はプロモーターとしての活動に重きを置き始めている。2014年の大晦日には、TBSとタッグを組み、WBA・WBO世界スーパーバンタム級王者でパウンド・フォー・パウンドにも名を連ねたギレルモ・リゴンドウのタイトルマッチを実現している。だが、ビッグネームを呼ぶことでその負債は広がっていった側面もあった。
「急速に円安が進み、ファイトマネーも高騰。リゴンドウの取り巻きもたくさん来日して、一泊150万円のスイートルームに泊まり、TBSの予算はすぐに超えていってしまいました。そこからスポンサーさんをまわり、借金を重ねるなど、とにかく金策に走った。例えばですが、花束の贈呈枠、国歌斉唱の枠などあらゆる方法でお金を集めるわけです。そこまでしないと大きな興行は打てない。ですが、結局プロモーターは大きな興行を打ってナンボの世界。それがボクシング屋の性でもあるんです」
興行でも、ボクサーの育成でも、サイドビジネスでも手詰まり感があった。鬱積した気持ちを紛らわすため、10年ぶりに再びアルコールを頼った。最初はビールを嗜む程度だったが、次第に酩酊するまで酒に溺れるようになる。筆者が知人を通して金平と初めて食事を共にしたのも、ちょうどこの頃だった。


