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プロ野球PRESSBACK NUMBER
名古屋大学野球部から“史上初のプロ野球入り”「社会人は全部落ちた」元中日育成1位の秀才左腕が明かす“異色の経歴”「高校はバレー部でリベロ」
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佐藤春佳Haruka Sato
photograph byL)NumberWeb、R)Sankei Shimbun
posted2025/08/04 11:06
2020年に中日の育成1位でドラフト指名を受けた松田亘哲さん。現在はCBCテレビの報道局記者
「実は社会人は全部落ちたんです(笑)」
1年冬の合宿で、松田さんが口にした「プロを目指したいです」という言葉に、トレーナーも「楽しそうじゃん、やってみようよ」と即反応。そこから、本気でプロ野球選手を目指すための取り組みが始まった。走り込みや遠投など基礎練習を徹底する一方で、本を読んで栄養学も研究し、1日5000kcal摂取を目安に食事にも気を遣って体づくりに励んだ。
チェンジアップはブルペンではなく中距離での投球練習でマスターするなど、独自の練習法で変化球もいくつか習得。勉強や塾講師のアルバイトとも両立しながら猛練習してピッチングを磨き上げた。入部当時、175cmの身長に対して62kgだった体重は80kgを超え、球速はついにMAX148kmに。愛知大学野球リーグ3部で通算14勝をマークする左腕に、プロのスカウトも熱視線を注ぐようになった。
「とにかくプロに行く、と決めていたので就活もせず野球に集中していました。親は放任というか、好きなようにしなさい、と。大学だけ卒業してくれ、と言われていたので何とかギリギリ単位は取りました。もしダメなら、社会人野球でと思って、練習に参加したり監督にも動いていただいたりしたんですが、実は社会人は全部落ちたんです(笑)」
名大野球部から“史上初のプロ入り”
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2019年10月17日。プロ野球ドラフト会議で、ついにその名前が読み上げられた。中日からの育成1位指名。ドラフト会議の開始から約2時間半、大学構内の会見場でチームメートらと待機していた松田さんは、満面に笑顔を浮かべた。創部70年目の名大野球部からのプロ入りは初めて。旧帝大からの輩出は東大、京大に次ぐ3校目という快挙に、マスコミの注目も集まった。
本格的に硬式野球を始めてから1年足らずでプロ入りの目標を掲げ、3年間の努力で叶えた念願。強者揃いのプロの世界で、秀才左腕の奮闘が始まった。《後編に続く》

