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田口壮「阪神に行きたくない10カ条」を阪神出身スカウトに仕掛けられ…「阪神に行きたい」萩原誠1位指名に流れた阪神の“無難”という伝統
posted2025/08/04 17:01
阪神入りを熱望していた萩原誠。だが結果的には阪神特有の重圧に打ち勝てず、プロ通算でわずか38安打と大成できなかった
text by

喜瀬雅則Masanori Kise
photograph by
SANKEI SHIMBUN
1991年のドラフト。萩原誠、中村紀洋という野手の逸材を擁する大阪府の西隣・兵庫県には、即戦力の評判を取った関西学院大の遊撃手・田口壮がいた。
甲子園球場のある西宮市出身。県立西宮北高から指定校推薦で関学大に進むと、2025年春季リーグ終了時点でも依然として関西学生リーグの「最多安打記録」である、通算123安打をマークした。
阪神拒否を打ち出した田口
阪神の1985年の日本一メンバーで、ショートのレギュラーだった平田勝男(長崎/明大/81年2位)もその年で32歳と、ベテランの域に入ろうとしていた。
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平田の後釜になり得るその有力候補が阪神のお膝元にいる、バリバリの地元選手なのだ。
ところが田口は、ドラフト直前「阪神に行きたくない10カ条」を打ち出した。
「とにかくオリックスが好きなんです」
希望が叶わなかった場合には、社会人に進む可能性も示唆してまで、阪神への拒否姿勢を明確に打ち出したのだ。
オリックススカウトは阪神の内情を熟知していた
田口が入団を熱望したオリックスの担当スカウトは、1970年(昭和45年)の阪神ドラフト1位で、関西学院大出身の谷村智啓だった。最終的に田口での競合を回避した阪神は、萩原を単独指名している。ライバル球団に手を引かせるために、谷村はその“舞台裏”で汗を流したのだ。
「地元や。それこそ、阪神もいかなアカン。そやろ? そこやろ、な?」
谷村はそう強調しながら、一方で古巣の“内情”は熟知している。阪神という球団は、無難な方向に、そして世間の声に流されやすいのだ。
10月15日の石川国体終了後、萩原は「阪神志望」を明らかにした。
「小さいころから阪神ファンだったので『阪神を希望します』と言おうと思っています」

