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71歳で死去…超人ハルク・ホーガンはプロレスをどう変えたのか? アントニオ猪木「最初はでくのぼうだった」“筋肉お化け”が世界的スターになるまで
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原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2025/07/29 17:00
ハルク・ホーガンの筋肉パフォーマンスにファンは熱狂した。世界中のプロレスファンを魅了した超人は71歳で天国に旅立った
「オレのヒーローに銃弾を浴びせた。次期大統領を殺そうとした。もう、許さない」と黒いTシャツを引き裂くと、下の赤いタンクトップにはトランプの文字が現れた。
力道山時代にはブラッシーがインタビューで「オレの友人のケネディ大統領に……」と演説していたが、トランプとホーガンは約40年前からの友人だった。トランプもWWEのリングに上がったことがある。そしてトランプは2回大統領になった。
「すばらしい友人を失った。強くて、タフで、スマートで、大きな心を持った人物だった」とトランプ大統領はホーガンへの哀悼の意を表した。
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日本のリングでは、猪木以外にも、藤波辰爾、天龍源一郎、グレート・ムタらとシングルマッチで戦った。
新日本プロレスは7月26日、開催中の『G1 CLIMAX 35』の大田区総合体育館大会で追悼の10カウントを鳴らした。タイガー服部が遺影を持った。
『Number』から依頼された天龍との2ショット
筆者がホーガンに特別な撮影を頼んだのは1回しかない。
1991年3月、ロサンゼルスで第7回レッスルマニアが行われた。日本からは天龍も参戦していた。ホーガンはメインイベントでイラクの「サダム・フセインに魂を売った軍曹」サージェント・スローターとの試合が組まれていた。
『Number』からプロレス特集用にホーガンと天龍のモノクロームの2ショットが欲しいという依頼があった。そんなわけでWWFに頼んで試合前にバックステージで二人を撮影したことがある。ホーガンは「どうするんだ」と気さくに姿を見せた。
実際の湾岸戦争はすでに終結していたが、そんな社会的な背景を盛り込んだWWFならではのストーリーが展開されていた。大USAコールが沸き上がっていた。あの時のホーガンのフィニッシュはラクダ固めだった。
ハルク・ホーガン。超人。安らかに。



