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71歳で死去…超人ハルク・ホーガンはプロレスをどう変えたのか? アントニオ猪木「最初はでくのぼうだった」“筋肉お化け”が世界的スターになるまで

posted2025/07/29 17:00

 
71歳で死去…超人ハルク・ホーガンはプロレスをどう変えたのか? アントニオ猪木「最初はでくのぼうだった」“筋肉お化け”が世界的スターになるまで<Number Web> photograph by Essei Hara

ハルク・ホーガンの筋肉パフォーマンスにファンは熱狂した。世界中のプロレスファンを魅了した超人は71歳で天国に旅立った

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原悦生

原悦生Essei Hara

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Essei Hara

 7月24日に71歳で死去したハルク・ホーガンのニュースは世界中に流れた。

 改めて、ホーガンが古き良き時代のプロレスと今のプロレスをつないだんだな、と思った。つないだというか、ホーガンという存在がそれほどプロレスを大きく変えた。

「最初はでくのぼうだったな」猪木が語ったホーガン

 1980年、ホーガンがあのフレッド・ブラッシーに連れられて新日本プロレスに来た頃は、体の大きい“筋肉のお化け”に過ぎなかった。

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 同年11月にアントニオ猪木のNWF戦の相手になったときも、なんだホーガンか、くらいだった。

 1982年公開の映画『ロッキー3』では、スクリーンの中でシルベスター・スタローンと格闘技戦を演じた。これはホーガンにとってかなりの追い風になった。ホーガンは来日を重ねるたびに成長していった。

 ちょうど猪木がIWGP構想を始めていたころだったが、筆者はホーガンがその中に入ってくるとは思ってもいなかった。

 それなのにホーガンはIWGPにアメリカ代表として参戦してきた。それでも決勝戦の猪木の相手はアンドレ・ザ・ジャイアントだと確信していたのだが。

 1983年6月2日に蔵前国技館のリングに立ったホーガンが猪木をKOしてしまった。衝撃が走った。

 ホーガンはその後WWF王者になっても来日した。猪木がホーガンに何かを特別に教えたわけではない。だが、猪木と戦うこと、猪木とタッグを組むことでホーガンはアメリカン・プロレスにはないものを吸収していった。

 そして、WWFのトップになるとさらにショーアップしたパフォーマンスでファンを魅了した。ハルカマニアはまさに現象だった。

「最初はでくのぼうだったな」と猪木は笑っていた。でも、猪木によってホーガンが進化を遂げたのは事実だ。グラウンドのテクニックもびっくりするくらい上達していった。

 日本では黒のショートタイツに白く「一番」の文字を入れ、「イチバーン」と指を突き上げた。

【次ページ】 プロレスを数十億ドル規模のビジネスに育てた立役者

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