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将棋PRESSBACK NUMBER
若き日は甘いマスクも「メガネでタレント性を拒否」「最後の大物独身…45歳で結婚」2度も“名人寸前で苦杯”の名棋士・郷田真隆の素顔とは
text by

田丸昇Noboru Tamaru
photograph byJIJI PRESS
posted2025/07/29 06:01
2009年の名人戦に臨んだ際の郷田真隆九段
第1期銀河戦で優勝したときには、「星の王子」と命名された。ただ見かけは甘いマスクだが、内面は芯が強い。ある時期からメガネをかけ、タレント性を拒否した面もあった。
郷田の将棋は流行にとらわれず、自分が信じる指し方を追究した。妥協のない剛直な棋風は「一刀流」と称された。私生活ではアナクロの傾向があり、一時期は携帯電話やパソコンを使わなかった。
また長考派の棋士で、序盤から持ち時間をたっぷりと使った。納得のいかないまま指すのは嫌だという。現役時代の加藤一二三・九段を思わせる徹底ぶりだ。
対局後に語った「加藤先生と似ていますね」
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私は35年前に郷田四段と対局(持ち時間は各5時間)したとき、郷田は序盤で3時間も長考した。さらに1時間も長考し、中盤で秒読みに追い込まれた。しかし指し手は正確で、きっちりと勝利を収めた。その対局後、郷田はこのように語っていた。
「長考して当たり前の手を指すのは、加藤先生と似ていますね。ただ長考派は手がよく見えるんです。いい手がなくて困っているのではなく、見えすぎて選択肢が多いから時間を使っているんです」
加藤九段がNHK杯戦で7回優勝しているように――長考派の棋士は早指し棋戦に強い。郷田九段も2014年にNHK杯戦で初優勝した。師匠の大友昇九段は1968年の優勝者。師弟で優勝を飾り、「師匠の墓前にいい報告ができます」と喜びを語った。
郷田(当時棋聖)が初めてA級に昇級したのは、1999年のことだった。98年度のB級1組順位戦の最終戦で勝利したが――その対局前夜に勝って昇級する夢を見たそうで、9年前の三段リーグ以来とのこと。少し遠回りしたが、やっと最上位に至った。しかし、99年度のA級順位戦で3勝6敗で降級。2001年度にA級に復帰したが、02年度に4勝5敗でまた降級。B級1組との往復が続いた。
羽生、森内相手に“名人まであと1勝”に迫ったが
そんな郷田が大きなチャンスを得たのは、2006年度のことだった。
A級順位戦で郷田九段は、最終戦の前の8回戦で名人戦の挑戦者に決まった。その終局後に家族から連絡があり、父親が入院先で亡くなったのを知らされた。升田幸三実力制第四代名人の大ファンで、生前は升田の話をよく聞かされたという。
森内俊之名人に郷田九段が挑戦した2007年の名人戦は、「弔い合戦」の心境で臨んだ郷田が奮闘した。

