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ノムさんが「そんなに走って、技術練習できるのか?」広澤克実が出会った“3人の名将”「《知将》野村克也監督の神髄は“データのウラの心理”」
text by

長谷川晶一Shoichi Hasegawa
photograph byNaoya Sanuki(L)/Koji Asakura(R)
posted2025/07/16 17:02
陸上部よりも走らされ、走って野球がうまくなるならマラソン選手がホームラン王だろ! と悪態をついていた広澤たちに野村監督がかけた声とは……
「ところが野村さんは違ったんです。僕らの練習メニューを見て、“練習前にそれだけ走って、その後に技術練習ができるのか?”とトレーニングコーチを問いただし、“自己満足の練習はするな、理にかなった練習をしろ”と僕たちに言ったんです」
根性、体力から始まり、そして知力の「ID野球」へ
広澤はもちろん、野村もまた、生粋の「昭和の野球人」である。しかし、1935(昭和10)年生まれの野村は、62年生まれの広澤よりもずっと柔軟な価値観を持っていた。
「それまで2時間かけて行われていたウォーミングアップが、野村さんのひと言によって30分から40分に短縮されました。野村さんが口にしていた“理にかなう”というのは、要は“つじつまが合う”ということです。同時に、“つじつまの合わないことはするな”と、いつも言っていました。だから、つじつまさえ合っていれば、たとえ失敗しても怒られない。その代わり、つじつまの合わないことをすれば、懇々と説教される(苦笑)」
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前述したように、明治大学時代には「御大」と称された島岡、そしてプロ入り直後は気風のいい江戸っ子・土橋、さらに猛練習で有名な関根監督の下でプレーをした広澤にとって、「ID(データ重視)野球」を掲げる野村との出会いは、新たな視点を獲得する契機となると同時に、選手としての飛躍のきっかけともなった。
「土橋監督の頃は、完全な《根性野球》でした。そして、関根監督は優しそうに見えて、これまでで最も走らされた、振らされた監督でした。その後に野村さんが《ID野球》、頭を使った野球を教えてくれました。最初に根性、次に体力、そして知力を学びました。それは僕にとって、すごくいい順序だったと思いますね」
野村の予言通りに強くなっていくヤクルト
スワローズ監督就任時、野村は「1年目に種をまき、2年目に水をやり、3年目に花を咲かせる」と発言し、就任3年目の92年には14年ぶりとなるリーグ制覇、4年目の93年にはリーグ連覇、そして悲願の日本一を実現している。


