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62歳で死去…ドジャース・ロバーツ監督の高校時代を知る“伝説の米国記者”「ダルビッシュとの会話が楽しみなんだ」明かしていた大谷翔平ら日本人選手評
posted2025/07/12 06:00
ドジャースのロバーツ監督を高校時代から知る米名物記者・スコット・ミラー氏が亡くなった
text by

水次祥子Shoko Mizutsugi
photograph by
Nanae Suzuki
米国野球界で長年記者として活躍されていたスコット・ミラーさんが6月21日に亡くなった。NumberWebと雑誌Numberで何度も執筆、または取材に協力してくださっていたので、MLBに関心のある読者の中にはご存知の方もいると思う。彼の記事は、縁があって筆者が翻訳を担当させて頂いていた。
MLB公式も追悼文…伝説の記者
突然の訃報を知ったのは、朝起き抜けに目に入ったSNSの投稿だった。米野球ジャーナリズム界の大御所、USAトゥデー紙のボブ・ナイチンゲール記者が最初に伝え、米有名記者らが次々と追悼の言葉を投稿。ESPNのジェフ・パッサン記者は「球場の記者席の中で一番のナイスガイであり、卓越した記者。本当に悲しい日だ」とつづり、ジ・アスレチックのケン・ローゼンタール記者は「我々の業界で最も尊敬された記者の一人。本当に悲しい」と語った。MLBも公式アカウントで「本物の紳士であり、品格を備え、国民の娯楽である野球を愛し、その能力を発揮した」と追悼した。米野球界の驚くほど多くの人がミラーさんの死を悼んでいるのを目の当たりにし、野球界からこれほど惜しまれる野球記者がいたことが、正直、驚きでもあった。
ミラーさんといえば、ドジャースのデーブ・ロバーツ監督と親しい間柄で、同監督の記事も書いて頂いた。2人の出会いは35年以上前だそうで、当時、同監督はサンディエゴの高校で野球、バスケットボール、さらにはアメフトのQBとして活躍する地元で有名な三刀流の万能選手。一方のミラーさんは、サンディエゴの地元新聞で、高校スポーツを担当する駆け出しのパートタイム記者だったという。
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そこで数年間、経験を積んだ彼は、ロサンゼルス・タイムズ紙でパートタイムのスポーツ記者の職を得て、それからさらに数年後の1990年に遂にフルタイムのスポーツ記者になった。
大手紙から地方紙へ移籍
大手紙のロサンゼルス・タイムズでフルタイムの記者といえば、米メディア界でも花形のポジションだ。だがミラー氏は、わずか4年でそのポジションを捨てた。理由は、スポーツ全般ではなく野球の記者になりたかったからだ。ミネソタ州のセントポール・パイオニアプレスという新聞がツインズの番記者を探しているというので、彼はそれに飛びついた。大手紙から地方小都市の新聞に移るなんて「クレイジーだ」と周りからは驚かれた。だが、とにかく野球の記者になりたかったのだという。

